息子が好きになれない。自立できない母は絡むことで満足する
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
あのお、息子いなければ離婚しましたよ、って、まあ、ほんとのきつい言葉言ったんですけれどもお、大原先生。
やっぱり、息子を犠牲にして、結婚生活が維持出来てんですよね。
相談者:
はー
加藤諦三:
確かにあなた、絡んでんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
なんで絡むかっていうと、ほんっとに寂しいんです、今。
相談者:
なんで寂しいんですか?
加藤諦三:
だって、ほんとのこと、一つも認めてないもの。
相談者:
はー
加藤諦三:
わたしは幸せです、って言ってんですから。
相談者:
あ
加藤諦三:
現実と何にも触れてなかったら、そら寂しいですよ。
相談者:
・・
加藤諦三:
あのね、さっき、そのお、大原先生がね、息子にどっぷりと依存してるって言ったのは、これも名言なんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
依存心の強い人は、人から頼まれることが好きなんです。
相談者:
はー
加藤諦三:
で、頼まれないと、自分は無視されたと感じるんです。
相談者:
んん・・・
加藤諦三:
つまり、あなた今ね、家の中で、みんなに対して攻撃的なんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
自分が無いから、他人の反応で自分を確認するんですよ。
相談者:
自分が無い・・と仰られるけども、じゃ、ある方の自分っていうのは、どういものなんでしょうか?
加藤諦三:
例えば、わたしはこれをやりたい、このことがしたい。
それが自分・・があるってことです。
相談者:
・・
加藤諦三:
自分の意思と、積極的な動機と、自分という存在の固有性と、そういうものが自分があるっていうことなんですよ。
相談者:
ただ、もう、50代にもなってきますと、あの、自分でこれをやりたいとか、そういう・・ことっていうのは、逆に、あるんでしょうか?
あの、
加藤諦三:
あのね、少年少女時代にやりたいことと、青年になってからやりたいこと。
相談者:
ええ
加藤諦三:
これ当然違いますよね?
相談者:
はい
加藤諦三:
それとおんなじで、今度は中高年期にしたいっていうのと、青年期にしたいことは、違ってこなければいけないんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
そして、老年期になれば、外に向かって拡大するような願望じゃなくて、内に向かって成熟するっていうのが老年期の課題なんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
あなた、ほんとにやりたいことって言うと、すぐにね、少年期とか、青年期の、やりたいことの話をしちゃうんです。
相談者:
あー、はい
加藤諦三:
要するに、少年少女期、青年期の解決すべき心理的課題を解決しないで、今に、まで来ちゃったんです。
50何歳まで。
相談者:
はい
加藤諦三:
例えば、父親との関係を、解決すべきなのに、課題。
それ、親との関係を解決すべきってのは、その時代で解決すべき課題なんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
その課題を解決しないで、次の次代(時代?)に来てしまった。
相談者:
父との課題を、もう、解決することは永遠にできないですよね?
加藤諦三:
いや、出来ますよ。
課題っていうのは、自立という心理的な課題ですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
依存心が、
相談者:
はい
加藤諦三:
自立心に変わったところで、父親との関係が済んでんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
ですから、依存から自立に心が成長したとき、父親との関係が初めて解決されたの。
相談者:
自立というのは、じゃ、どうすれば・・出来るんですか?
加藤諦三:
それは、毎日、毎日、一つひとつの小さなことを積み重ねていくことでしょうね。
相談者:
はい
加藤諦三:
とにかくう、日々の生活を大切にして、依存から自立に行けば、
相談者:
はい
加藤諦三:
解決に向かうんですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
で、さっきも言ったように、頼まれないと、無視されたように感じるんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
だから、息子さんにイライラするんです。
つまりね、息子にどっぷりと依存心があるから、息子が好きになれないんです。
相談者:
んん・・
加藤諦三:
そして、息子さんを犠牲にすることで、今の結婚生活が維持されてます。
相談者:
それには、わたしが父から自立することというですね。
加藤諦三:
そうですね。
父から心理的に自立が出来れば、あなたが自分に対する自分の、態度が変わりますから。
相談者:
分りました。
加藤諦三:
よろしいでしょうか?
相談者:
はい、ありがとうございました。
加藤諦三:
はい、どうも失礼します。
相談者:
ありがとうございます。
加藤諦三:
人から話しかけられないと、無視されたように感じます。
被害者意識の強い人です。
(内容ここまで)
「子は鎹」
って、こういう深い意味があったんだな。
(鎹: かすがい。コの字型の釘。2つの材木を繋げるのに使う)
違うと思うけど(笑)
さて、
いつもこれくらい、相談者と回答者&パーソナリティが打ち合ってくれると聞いてる方も楽しいんだけどね。
特に、両氏のように、心理的アドバイスを柱にする場合は。
リスナー暦10年超え、かつ加藤本を数冊は読んでいるわたしでも理解できないときあるし。
「『自分が有る』ってどういうこと?」
「もう亡くなった父との関係を一体どうやって解決?」
:
素朴だけど、当然の疑問だ。
わたしも答えられない。
こんなの、いつもは分かった気になって聞いてるんだな。
で、うろたえることなく、即座に返す両氏。
ホンモノは違うねえ。
場数踏んでんだろうけど。
ただ、その返答てのがさらに分りにくくて、相談者ももっと突っ込めばいいのに、って思う。
大原さんなんか、すぐ返してはいるんだけど、まともに答えていないし。
大原:
あなた(息子を)ダメにしてますよ、すごく。
相談者:
息子をダメにしているというのは、どういうことなんでしょう?
大原:
だって、息子さん何の問題もないですもん。
聞きようによっては自分の言ったことを自分で否定している。
で、話はここで中途半端に終わって、また別の話題に移る。
相談者:
こういう内向的な、子どもがいて、それは普通のことなんでしょうか?
大原:
じゃ、もっときつく言っていいですかあ?
これなんか、質問に答えようとすらしてない。(笑)
噛み合ってないのね、会話が、てか、問答が。
相談者としたら、煙に巻かれている気分。
「あー、なるほど、そうなんですねえ」
これってそういう返事じゃない?
ま、元々、この人、雰囲気で押し切るようなとこあるから。
わたしは原語(*)と呼んでいる。
(*)原語:
はらご。
巨人軍の原辰則監督の話し言葉。
感性や思いつきでしゃべってるからだと思われるが、途中で主語が変わっていたり、助詞や接続詞の使い方に間違いが多く、また、単語の使い方にも独特なものがある。
なので文章にするとつながらないのだが、聞いてる分には、表情や声のトーンの助けもあって、なんとなく言いたいことは伝わる。
師匠である長嶋(茂雄)語と言い換えてもいい。
「自立」っていうのはとても理解が難しい。
自分自身に当てはめようとすると、特に。
今日の相談者と自分が似てるなんてことは思いたくもないけど、でも、
「人から話しかけられないと、無視されたように感じる。」
こういう感覚は分るし、
「絡む」っていう行為も思い当たるフシがあるし。
無駄に話し掛けられてる感覚とか、
逆にそうしてしまうこととかも。
それでコミュニケーションとれたつもりになってるのは本人だけとはね。
いやはや。
「その人との関係の深さは、その人といるときに、どれだけ長い沈黙に耐えられるかに比例する」
(詠み人知らず)