幼児期から脱せない31歳の女。母の無関心があなたを作った
(回答者に交替)
大原敬子:
こんにちは
相談者:
こんにちは
お願いします。
大原敬子:
あのね、
相談者:
はい
大原敬子:
今、加藤先生の、お話を聞いていて、ずうっと、聞いて、いるうちに、気が付いたことは、
相談者:
はい
大原敬子:
あなたはコミュニケーションが、
相談者:
はい
大原敬子:
苦手なんですよね?
相談者:
はい
大原敬子:
ですから、今、加藤先生が、一つひとつ聞いてくださると、それに対しても答えはできるんです。
相談者:
はい
大原敬子:
ね?
相談者:
はい
大原敬子:
だけれども、だんだん、だんだん、話が、あなたの感情が、変わってくるんですよね?
相談者:
はい
大原敬子:
ていうことは、あなたが求めているものは、
相談者:
はい
大原敬子:
わたしの話を聞いて欲しいってことも、一つあるんではないかと思ったんです。
相談者:
はい
大原敬子:
でね、
相談者:
はい
大原敬子:
今、話を聞いた限り、あなたはお母さんに、自分からどう言葉を掛けていいか、分からないってことですよ。
そう思いませんか?
相談者:
・・
大原敬子:
そして、いつでもお母さんが、わたしに関心を持って欲しいんです。
でも、お母さんは、あなたに、関心を持っていないとあなたは思ってんじゃないかしら?
どうですか?
相談者:
関心・・
大原敬子:
例えば、
相談者:
はい
大原敬子:
あなたが、服着てるでしょう?
そうすと、
「ねえ、そのスカーフ良くないんじゃないの?、こちらにしたら?」
ってこと言われたら、あなたどうですか?
怒りますか?、それとも、
「分った」
って素直に言うんですか?
相談者:
納得ははするんですけど、
大原敬子:
うん
相談者:
うるさいな、って言います。
大原敬子:
でも、心の中ではうれしい?
相談者:
うれしいとは、思います。
大原敬子:
あのね、寂しかったんですよ、すごく。
相談者:
はい
大原敬子:
それでね、最初はね、
相談者:
はい
大原敬子:
どおんな人なのかしら?って、まったく分からないの。
相談者:
はい
大原敬子:
声にも抑揚がないし、
相談者:
はい
大原敬子:
「そうです」、「はい」、で。
相談者:
はい
大原敬子:
でも、こちらが、あなたに関心を持って聞くと、あなたは、全部答えてるじゃない。
相談者:
はい
大原敬子:
それも、自分が嫌だ、っていう、それが全部あなたが、して欲しいことだったんです。
相談者:
はい
大原敬子:
そしたら分るでしょう?、そうか、本気でわたしに向き合ってって言っても、それは分からない、お母さんにとっては。
相談者:
はい
大原敬子:
あなたにとっては永遠にお母さんですけども、
相談者:
はい
大原敬子:
お母さんにとっては・・娘に変わりはないんですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
でも、あなたが求めているのは、全部、幼児期のものです。
相談者:
はい
大原敬子:
でも、あなたはもう、成人した女性でしょう?
相談者:
はい
大原敬子:
すと、お母さんからすると、今さらこんなことを言っても・・と思うかもしれないんですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
でも、あなたは、お願い!、お母さん、わたしが幼児期にしてくれなかったことを、今、して欲しい、ってことが、あなたんの心の中にあるんですよね。
相談者:
はい
大原敬子:
ただ、一つあなた、お母さんに憎しみ持っていませんよね?
相談者:
憎しみとかはないです。
大原敬子:
お母さんは、あなたを強制的に、抑圧的にしたわけではなくって、
相談者:
はい
大原敬子:
どちらかというと無関心だったんですね、幼児期に。
相談者:
ああ、そうです・・
大原敬子:
構ってくれなかったってことです。
相談者:
はい
大原敬子:
構ってくれなかった・・あなたがそのまま成人してしまって、
相談者:
はい
大原敬子:
そして、言葉だけを本気になって向き合ってって言っても、今まで構ってないお母さんは、
相談者:
はい
大原敬子:
何を言っているのか、分からないんです。
相談者:
はい
大原敬子:
つまり、あなたは、30になったときに初めて、自分を、自分で抱きしめてるんです。
寂しいなあ、と思って。
相談者:
はい
大原敬子:
その寂しさを、お母さんに、
相談者:
はい
大原敬子:
こぶしを持って、お母さんの胸を叩いても、
相談者:
はい
大原敬子:
お母さんには響かないんです。
相談者:
はい
大原敬子:
だから、お母さんも可哀そうなの。
相談者:
はい
大原敬子:
何を言ってるか分からないんです。
相談者:
はい
大原敬子:
でもあなたは、日ごとにそれを求めるでしょう?
相談者:
はい
大原敬子:
だからお母さんからすると、もう、どう扱っていいか分からないので、
相談者:
はい
大原敬子:
しばらく出た方がいいんじゃないの?、になったんでしょうね。
相談者:
はい
大原敬子:
だから、自立って言うんではなくって、
相談者:
はい
大原敬子:
お母さん自身が、どうしたら、あなたは納得するの?
お母さんはあなたの子育てが分からないと思ってるんです。
相談者:
はい
大原敬子:
ですから、今日からもしですね、
相談者:
はい
大原敬子:
あなたはお母さんに憎しみ持っていません。
相談者:
はい
大原敬子:
ただお母さんが、あなたが求めている、お母さんはいないんです。
相談者:
はい
大原敬子:
いないっていうか、分からないんです。
相談者:
はい
大原敬子:
愛し合うってことは、親子でも。
相談者:
はい
大原敬子:
求めるものを、相手に伝えることも愛し合うことなんです。
相談者:
はい
大原敬子:
「わたしはね、お母さん、小さいときからこういうことをして欲しかったの」
相談者:
はい
大原敬子:
「こういうことをして欲しかったの」
相談者:
はい
大原敬子:
ていうことを伝えることなんですね。
相談者:
はい
大原敬子:
人間が相手を、怖れるとか、相手を不安になるのは、相手が、何を考えているのか?、何を求めるのか分からないときに、重くなったり、不安になったりするんですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
ですから、お母さんは、お母さんがそのまま来てしまったんです。
相談者:
はい
大原敬子:
あなたの求めてるお母さんになって欲しかったら、
相談者:
はい
大原敬子:
あなたが求めるならばですよ、
相談者:
はい
大原敬子:
こうして欲しいっていうことを、伝えることです。
それがコミュニケーションなんですよね。
相談者:
はい
大原敬子:
分りますか?
相談者:
はい
大原敬子:
今から加藤先生に伺いますけども、
相談者:
はい
大原敬子:
でも幼児期だと思います。
先生いかがでしょうか?
(再びパーソナリティ)
管理人さん、全然理解できてないみたい。コメントがとんちんかんでおかいしわ。
管理人さん、もうちょっと理解してくださいよ。こんなに文字起こしもされてるんですから。
文字起こしは大変ありがたいんですが、いつも最後のコメントが的外れでがっかりさせられます。
それが非常に残念です。
私は、管理人さんのコメント、いつも的外れだとは思いません。
ビシッと的中していることも沢山有りますし、こういう見方もあるのだと
気付かされることも。
いつも興味深く読ませていただいています。
管理人さんを何だと思ってるんだかw
一見解、一つの感想であって、とんちんかんだの的外れだの言われる筋合いはないよ。
そう思うのは自由だけど、どうせ書き込むなら、どこがとんちんかんで的外れなのか、具体的に指摘してみたら?
より納得のいく解釈があるなら、私も拝読したいです。
以前、1つめのコメントを見たとき(? どういう風にとんちんかんなのか。「理解出来てない」ってどうして言えるのか?)とモヤモヤ、今朝2つめのコメントを見て(「がっかり」って何?)、と、またしてもモンモンとしたまま出勤し、(こりゃちょっと久し振りにコメントさせて頂こうかな?)と思っていた所、今見たら3人目4人目のかたがまさに私と同じように思い書き込んで下さっていました。
人の解釈は自由。批判するなら、せめて具体的にご自分の解釈もコメントに添えて欲しいです。そこからの気付きもあるのかもしれないし。
上にある二つのコメは、まさか、本人?もしくは似た立場の人?ふわっとした内容の書き方といい、逆に他者にはエスパー並の読解力を求めるところと言い。
別の相談者本人がコメント残されたケースもあった(幸い好意的な内容だった)。もしかしたら本サイト読んで顔を真っ赤にさせてキーボードを叩きまくるケースもあるのかと想像したら管理人さんも大変である。
相談内容をまとめたら「母親が向き合わないので家を出た方が良いか」で合ってる?別居しても良好な関係の親子なんてゴマンといる。一人暮らしできる経済力あればそれで良いし、経済的に一人暮らしが無理なら少額でも家賃代いれてあとは家事で賄うとか。怒ってキーボード叩いても他人は変えられない。変えられるのは自分しかない。
個人的には、管理人さんの意見やコメント欄の書き込みを、相談者本人が読んで傷ついたり反論したくなる事もあり得ると思います。特にコメント欄は、侮辱的な言葉だけのものもあったりして、匿名だからここまで書けるんだろうな、と感じる事も多いです。
一度の電話だけの相談で自分の全てを分かってもらうなんて不可能だし、ましてや放送されているのは編集済みのもの。誤解はあって当たり前だと思いますよ。
その上で、自分に参考になる事があれば参考にしたらいいし、的外れだと思う事は気にしなくていいんじゃないかな。
もし、本人さんが読んでいればそう伝えたいですね。
最初と二番目のコメントが相談者本人としたら「家出を繰り返した」という一見ぼやっとした内容の真相が見えてくる。つまり「暴言を吐く→職場に居辛くなる→退職して実家に戻る→就職して実家を出る→最初に戻る」を繰り返してきて、母親もいい加減しびれを切らしたのではないかと。そして本当に相談したかったのは生き辛さそのものだったかもしれない、と。
これが正解なら「的外れだ」と憤慨すること自体もしょうがない。ただ、相談内容を尋ねられた際に母親との関係を喋っているのだから回答者が母親との関係にフィーチャーするのも仕方ない。そして、加藤先生と管理人さんが「まず自分がどうしたいのか計画立てしな」と答えるのも至極当然。敵愾心と不満で凝り固まってしまった状況を脱する方法に近道は無いから。まずは自分の身の回りのことを大切に行動することが「自分がどうしたいか」という気付きに繋がる。
新幹線の事件を聞いて、この相談を思い出した。表現が下手で、理解してくれない周囲に怨みを募らせて・・・大袈裟だけど相談者の心も既にナイフを忍ばせているような気もする。自分で自分の解決の目を摘み取っていく、それを繰り返したらそりゃ狭い人間関係で悶々とすることになる。