息子の嘘が許せず縁を切りたい。義務と規範意識だけの男
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
もしもし?
相談者:
はい
加藤諦三:
あのお、縁を切るっていうのね、
相談者:
はい
加藤諦三:
気持ちい、は分かるんですけれども、今、坂井先生が仰ったようにね、
相談者:
はい
加藤諦三:
第三者から見るとお、そこまで悪い息子かな?っていう、ことなんですよね。
も、単純に・・
相談者:
あのお、
加藤諦三:
はい
相談者:
自分でも今でも、そんな悪い子だとは思ってはいないんですよ。
加藤諦三:
だけど、無意識にものすごい怒りがないかな?
相談者:
あー
加藤諦三:
ウソをついたのを、まさに許せないって言ったけれども、
相談者:
はい
加藤諦三:
人を騙そうとしたウソじゃないですよねえ。
なんか、みんなその、
「自分を認めて、自分を認めてえ」
って騒いでるウソなんですよ。
相談者:
あー
加藤諦三:
たぶんあなた、25歳の息子さんねえ、
相談者:
はい
加藤諦三:
あなたに愛してもらいたいし、認めてもらいたいんですよね、それだけなんですよね。
相談者:
あー
加藤諦三:
子どもの側からするとね、やっぱり、ありのままの自分を、愛してもらったっていう、実感がないんですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
だから、成長してないから、こうやってペラペラ、ウソついちゃうのね、その場その場。
相談者:
はい
加藤諦三:
だから、そういう意味じゃ、あなたがいっくら縁を切ろうと思っても、法律的に縁切れないわけですから、
相談者:
はい
加藤諦三:
次々問題は起こしますよ、これからも。
相談者:
はい
加藤諦三:
だからあ、問題を起こさないようにするにはどうしたらいいかな?って考えた方がいいんじゃないのかな?
相談者:
そうですねえ
加藤諦三:
お前も辛かったんだなあ、っていうことだよね。
相談者:
ええ
加藤諦三:
だけど、ほんっとに俺も、辛かったんだ、ってことですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
こうあるべきという、義務、責任感、規範意識だけで、必死になって、自分を抑えて生きてきたんですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
だけど、人間関係、あなたからすれば、色んな人間関係を上手くやりたいと思いながらも、なかなか上手くいかなかった。
ということでしょ?
相談者:
はい、その通りです。
加藤諦三:
じゃあ、
相談者:
自分も本当に、今まで、やってきて、非常に苦しかったですね。
加藤諦三:
苦しいですよ。
相談者:
ええ
加藤諦三:
だって、人に対する愛情が無いのにい、愛すべきだ、という立場ですから。
相談者:
はい
加藤諦三:
嫌いな人に、親切をするってのは辛いことですから。
相談者:
はい
加藤諦三:
好きな人に親切するのは嬉しいけれども、嫌いな人に親切する・・辛いよね?
相談者:
そうですね。
加藤諦三:
あなたの人生そういう人生だったんですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
だから、そこら辺のところがあ、今、もう、あなた、その通り、って言ってくれたからあ、それで解決つくんじゃないの?、もう、これは。
相談者:
分かりました。
取り合えず、本人が、何処にいるかも分かんないもんですから、
加藤諦三:
はい
相談者:
ま、あのお、携帯のメールは見てくれるう、みたいなもんですから、
加藤諦三:
うん
相談者:
メールで、あの、今までの、苦しいこと、ほんとに言って、その過去の話?
加藤諦三:
うん
相談者:
から、ちょっとメールを入れてみたいな、とは・・思います。
加藤諦三:
うん
正直に、今の気持ちをね、書いたら、息子さん、受け入れてくれると思いますよ、あなたのこと。
相談者:
分かりました。
加藤諦三:
よろしいでしょうか・
相談者:
すいません、ありがとうございますう。
加藤諦三:
はい、どうも、失礼します。
相談者:
はい、ありがとうございましたあ。
加藤諦三:
好きな人に親切をするのと、嫌いな人に親切をするのでは、同じ親切でも全く違います。
(内容ここまで)
両養子だっけ?
今、その話が来てたらねえ、二つ返事だったのにね。
うまくいかんもんやね。
親子の縁を切る。
これ、戦前の民法では可能だったみたい。
いわゆる、勘当。
勘当だあ!
不可能となった今でも言葉だけは残っちゃってるけどね。
法的には何の意味もない。
もおぉ、お前なんか知らん! とだいたい同じ意味だ。
今日の息子が勘当されるんなら、世の中勘当だらけだろうねえ。
軽過ぎんだよ。
縁を切りたいってのもそうなんだけど、
たった20分で心変わりとかもね。
だいたい、トラブルから逃げる息子を批判できんのかっつうの。
親子の縁を確定する認知(*)から逃げまわる息子。
取り消しようのない親子の縁を切ろうとする父親。
そっくりじゃん。
(*)認知:
婚姻関係にない男女から生まれた子を、男が血縁による親子関係を認めること。
「人の生き死にを簡単にウソをつくっていうのは許せない」
(笑)
それ、大げさ。
親戚亡くして休むとか、シャレが分かる職場なんかだと、ネタだ。
今度は誰が危篤だあ? とか
何人親戚殺すんだあ?、とか
だいたい相談者が掴んでいる息子の情報が細かすぎる。
3年も前に家を出て居場所も分からない息子、
携帯に掛けても出ない息子、
なのに、息子がどういう理由でバイトを休んだのかまで、知ってるっていうのが不思議。
息子⇒友だち⇒その父⇒相談者
こういうルートだとして、絶対、相談者の方から積極的に取りにいってるでしょ。
縁を切りたい息子が気になってし方がない。
何なんだろうね、これ。
真面目などということはまったく信用できない、と私は思っている。世の中には、真面目だけれどもやさしくない人や、やさしいけれど真面目とは言えない人がたくさんいる。
人から好意を得るために真面目にしている人は、何かあるとまったく人が変わる。人から受け入れてもらうために真面目にしている人は、道徳的でも何でもない。
彼らは認めてもらうために倫理的に振る舞っているだけで、もし分からなければ普通の人よりもはるかに反倫理的なことを平気でする。
<加藤諦三 大人になりきれない人の心理>
親が息子と縁を切りたい ・・・反倫理的
フム、言えなくもない。
勘当
調べてたら面白いことが分かってメモ。
古く江戸時代には奉行所に申し立てて、奉行所が勘当を認めていた。
奉行所は勘当帳なるものを管理していて、再び申し立てにより勘当が解かれると、この勘当帳から消される。
「帳消し」なる言葉はここから来ているらしい。
懲らしめる意図などから、予め勘当を解くことを想定して勘当する場合、奉行所を通さないで行うこともあった。
この場合、勘当された者の人別帳(今で言う戸籍)に札(ふだ、付箋みたいなもの)が付けてられていた。
「札付きの悪」はこれが語源なんだとか。
認知から逃げまわる息子は「札付きのワル」ぐらいは言ってもいいかもしれん。