形見分けで自分を差別する母親との関係に悩む37歳の女

(再びパーソナリティ)

ドリアン助川:
ええ、あの、見方を変えるという言葉が出たんですけども、

相談者:
はい

ドリアン助川:
えっと、ちょっと僕はあのお、また、別の、話を、あのお、最後にしたいと思うんですが、

相談者:
はい

ドリアン助川:
あの、まったく同じような、育ち方をしてるんです、わたしも。
あの、小さいときに、

相談者:
ああ、そうですかあ。

ドリアン助川:
ええ、

相談者:
はい

ドリアン助川:
でえ、あの、わたしの母なんかは謝るんですよ、今。

相談者:
ああ

ドリアン助川:
あの頃、あのお、ちょっとこう、手放してしまって申し訳なかったと。

相談者:
はい

ドリアン助川:
でもね、なんで謝るんだろう?って思うの。
というのは、

相談者:
ええ

ドリアン助川:
日本中にいくつもふるさとが出来たんですよ、そのことによって。

相談者:
あー

ドリアン助川:
自分がその生まれたとこ、だけじゃなくて、

相談者:
はい

ドリアン助川:
群馬行ってもふるさと、岩手行ってもふるさと。

相談者:
はい

ドリアン助川:
で、これが嬉しいんですね。

相談者:

ドリアン助川:
ですから、その、苦しいって思うことも、見方変えると、

相談者:
はい

ドリアン助川:
えー、負じゃなくて、正の財産に変わると思うんです。
そんなふうな、

相談者:
そうですね、うーん・・

ドリアン助川:
ええ、見方も含めて、良き日々を

相談者:
はい

ドリアン助川:
お過ごしください、と言うしか言い様がないんですけども。

相談者:
はあい、ありがとうございました。

(内容ここまで)

大原さんも言うとおり、この母親の叔父との付き合い方は、ほんとにスマート。

一旦つまずいた乳離れの道は険しい

で、相談者、
17歳にしか聞こえないのは、しゃべり方だけではないと思う。
妹のおやつの大きさにふくれっ面のお姉ちゃん。

司法書士さんに頼んだんなら、それほどやることなんてなかったはず。

何かを調べてあげた。
役所まで送ってあげた。

こんなの家族なら日常の一コマでしょうに。
どんだけ、恩に着せんのよ。

でも、まあ、原因は、不公平感なんだけどね、分かるよ。
車が無ければ何も問題なかったわけで。

だけど、母親だって、
「妹が欲しいって言ってるからごめんね」
ちゃんと謝ってるじゃん。

それに、結局は大人しく折れたあんたはエライ。
30過ぎろうが、お姉ちゃんしてるっていうか、させられてんだなって。

考え方が幼くはあるけど、振る舞いはモノ分かりのいい立派な大人。
でも、それって、言い換えれば、ムリしてるってことよね。
それも小さい頃から。
この点を母親にも分かって欲しいんだけどさ。

 

幼児期にいきなり母親と引き離されるって、かなり過酷。
心理的な成長に何の影響も及ぼさないということはない。

一旦は記憶から消えたとしてもね。

だけど、そのことを大人になってもはっきりと思い出す、あるいは外からでもその事実を知ったということは、心理的には一つ階段を上がったことになるの。

なぜかというと、自分でもわけの分からない感情に苦しむんじゃなくて、そういう体験が元になっているんだってことを自覚できるから。
自分を知るっていうかね。

せっかく、そこまで来たのに、

(母親からの)報いがない ?
(母親に)裏切られた ??
(母親から)利用されているかも ???

いやあ、そうなっちゃうのね。
一旦つまずいた乳離れの道は険しい。

だからねえ、
「母とわだかまりがある」、なんて、遠まわしにごまかすんじゃなくって、「お母さんを求めている」、「お母さんに甘えたい」って表現すれば?

連絡を絶ったって一緒。
母親からの電話には飛びつくし、頼まれれば駆けつけたくなる。

相談者 「素直に言ってみたいと思います」
そうそう。
しばらくは片思いだけど、続けてればさ。

娘 「小さいときにすごく辛かったんだあ」
母 「大人になって言われても困る」

(笑)
この母親となら、きっと、いい関係になれる。

 

親に対する無意識を意識化できたことと、自分が依存的でなくなったということは別のことである。
確かに心の底にある親に対する実際の感情に気づくことは、心理的離乳にとって何よりも重要なことである。
しかし、自律性を育てていくことは別の仕事である。

<加藤諦三 「自分に気づく心理学」>

 

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