【日曜に読む傑作選】最悪の結果となったDV。見捨てた母を追体験する女のウソ
テレフォン人生相談 2004年8月26日 木曜日
酒乱の父による母に対する虐待は子どもたちが家を出た後も続き、母が父を手にかけて終わる。
服役後、ほどなくして自らも命を絶つ。
自身の夫婦関係に苦しみながらも、「母が受けていた虐待は知らなかった」と言う相談者。
女に危険な匂いを感じたマドモアゼル愛が対峙する。
パーソナリティ: 加藤諦三
回答者: マドモアゼル愛(心についてのエッセイスト)
相談者: 女53歳 夫58歳 子どもは3人31歳 30歳 20歳 両親は他界 4人兄弟で姉、兄、相談者、妹
今日の一言: 人は幸せになるために生まれて来たのではありません。自らの運命を成就するために生まれて来たのです。昔読んだロマン・ロラン(仏 1944没)より。
加藤諦三:
もしもし?
相談者:
あ、もしもし?
加藤諦三:
はい、テレフォン人生相談です。
相談者:
はい、どうもお・・
加藤諦三:
はい
相談者:
お世話になります。
加藤諦三:
最初に年齢教えて下さい。
相談者:
はい。えっと53歳です。
加藤諦三:
結婚してます?
相談者:
はい、結婚しております。
加藤諦三:
えー、ご主人は何歳ですか?
相談者:
えっと、50う・・8歳です。
加藤諦三:
58歳、お子さんは?
相談者:
はい、子どもは3人おります。
加藤諦三:
何歳でしょうか?
相談者:
えーと、31歳・・それと30歳と、
加藤諦三:
はい
相談者:
はい・・あとお、二十歳の子がおります。
加藤諦三:
はい
相談者:
はい
加藤諦三:
で、どんな相談ですか?
相談者:
えーとですね、あの・・夫婦間の、ことでも、あるんですけども、
加藤諦三:
はい
相談者:
あのお・・ちょっと自分が子どものお、時から、
加藤諦三:
はい
相談者:
あんまりい、親に甘える事は・・なかったんですね。
加藤諦三:
あはい
相談者:
そいで、あの結構、父はお酒が入ると、
加藤諦三:
はい
相談者:
家(うち)の中でもお、暴れたりい、
加藤諦三:
はい
相談者:
ま、酒乱っていうのもあったんですけど、
加藤諦三:
はい
相談者:
そんな事で・・中々あ・・辛い思いはしたんですね。
加藤諦三:
はい。あなたは、な・・
相談者:
はい
加藤諦三:
何人兄弟ですか?
相談者:
わたしは4人兄弟です。
加藤諦三:
4人兄弟で・・
相談者:
はい
加藤諦三:
何番目?
相談者:
真ん中ですね。
加藤諦三:
え?
相談者:
あの、3番目ですね、上から。
加藤諦三:
上から3番目。
相談者:
はい
加藤諦三:
男、女はどうなってる?
相談者:
一番上は姉で・・
加藤諦三:
はい
相談者:
そいで兄がいてえ・・
加藤諦三:
はい
相談者:
わたしがいて、妹です。
加藤諦三:
はい、分かりました。
相談者:
はい
加藤諦三:
はい、それで?
相談者:
それで、まあ、こちらに・・あの、ま、結婚して、
加藤諦三:
はい
相談者:
18で・・親元離れて、こっち嫁い、ぎまして、
加藤諦三:
はい
相談者:
ま、実家の事は心配してたんですけども、
加藤諦三:
はい
相談者:
ま、仲良くやってるっていう事で・・
加藤諦三:
ええ
相談者:
安心はしてたんですね。
加藤諦三:
はい
相談者:
そいで、ま、子ども、育てて、ま、あ、ま、あんまり実家にも、経済、的なこともありまして、帰る事はなかったんですね。
加藤諦三:
はい
相談者:
ほいで、んー、ちょっと突然・・「父が亡くなった」っていう事で電話入りまして、
加藤諦三:
はい
相談者:
行きましたら、
加藤諦三:
ええ
相談者:
あのお・・わたしは何も知らさあ、れなかったんですけどもお・・うーん、父い、のお・・顔を見ましたら、
加藤諦三:
はい
相談者:
ま・・首から上はもう、も、紫だったんですけどね。
加藤諦三:
はい
相談者:
そいでもう、母は?、って探した時には母はもう・・刑務所だったんですね。
加藤諦三:
・・どこに行ってるって言いました?
相談者:
刑務所なんですね。
加藤諦三:
刑務所に行って・・
相談者:
母が・・父をお、首絞めちゃったんですね。
加藤諦三:
え?・・え・・
相談者:
そいでえ、あのお、その時に行った時にはもう・・父はもちろん棺の中でしたけど、
加藤諦三:
はい
相談者:
あの、母も、居なくて・・ていうところで・・うー、何がなんだか分かんなくて、わたしは父の前で、ん、ま、泣き叫んでたんですけどね。
加藤諦三:
はい
相談者:
そいであの、母は・・あのお、父から、酒乱で、ま・・父に・・虐待を受けてたんですね。
そいで、わたしは一切そんな事は聞いてなかったもんですから、
加藤諦三:
はい
相談者:
そいで、母が虐められてるっていうのは、その・・証拠に、
自分が叩かれた鉄の棒は&#△%・・ような鉄の棒を仕舞ってたんですね。
加藤諦三:
はい
相談者:
そ、隠してあったんですね。
加藤諦三:
ん、はい
相談者:
ま、それは警察に、来て・・うん、言われて初めて母は虐められてたんだっていう事は、わたし達兄弟は・・分かったんですけどね。
加藤諦三:
・・その、そんなに、その・・
相談者:
はい
加藤諦三:
父親から母親が暴力を受けてるという事を・・
相談者:
ええ
加藤諦三:
一緒に住んでる兄弟ってのは分かんなかったっていう事ですか?
相談者:
そうですね。
母は・・耐、耐えて耐えていたんですね。
加藤諦三:
・・ただ、鉄の棒で、
相談者:
はい
加藤諦三:
そのお、どういう形の暴力だか分かりませんが・・
相談者:
ええ・・はい
加藤諦三:
そこまでの事が、一緒に住んでる人間に分からないでしょうかね?
相談者:
そうですね、すぐ、また・・飲むとお・・
加藤諦三:
いえいえ、分からないもん、とあなた思います?
相談者:
いやあ、分かってたん・・だと思うんですね。
ですけど、一切、手は・・あの、止める事お、をしたら・・余計暴れて、母を、虐めるので・・出来なかったっていう事ではあるんですね。
加藤諦三:
・・うーん
相談者:
ええ・・そいで・・亡くなってから色々日誌とかそういったのが出て来て・・
加藤諦三:
で、一緒に居る時・・も、暴力振るってたの?
相談者:
そう、振るってましたね、わたしがもう、物心ついた時にはいつも目が覚めると・・あのお・・んー、味噌汁がひっくり返って水浸し、味噌汁だらけなってましたし。
いつも喧嘩が絶えなくて、母がいつも泣いてましたね。
加藤諦三:
そ、どうも話が、い・・一致しないんだけど、
相談者:
はい
加藤諦三:
あなたが先ほど・・
相談者:
はい
加藤諦三:
「父」に、「が、母に暴力を振るってたのは」・・
相談者:
はい
加藤諦三:
「みんなが知らなかった」って言いましたよね?
相談者:
はい・・あの、そのお・・
加藤諦三:
ところが今の話を聞くと・・
相談者:
はい
加藤諦三:
「みんな知っててやってる」という事ですね。
相談者:
あのお、その、軽い暴力、顔を叩くとかっていう暴力は知ってましたけど・・その・・鉄の、それで叩いてたっていうのは・・誰も知りませんでしたね。
加藤諦三:
ああー・・
相談者:
はい
加藤諦三:
はい、はい・・分かりました、それで?
相談者:
はい。で、そいでわたしが、ま、こちらに、嫁ぎましてからも・・
「仲良くやってる」っていう事でしたもんですから。
加藤諦三:
あの・・ん、誰に聞いたわけですか?
相談者:
あ、兄弟たちに・・も、聞きましたし、
ま、母も、「元気で仲良くやってるよ」っていう事は常々・・言ってましたので。
加藤諦三:
・・
相談者:
でも実際は・・そうですね。
加藤諦三:
うん、だから、実際、誰も行ってないのに「仲良くやってるよ」と言っていたという事ですね?
相談者:
そうですね。心配掛けまいとして・・そやって言ってましたねえ。
加藤諦三:
うーん
相談者:
それから、母は・・あのお、地元なんかもお、そういう父の事を知ってるもんですから、ま、嘆願書みたいで・・母の真面目にやってるっていう事で・・刑は軽く・・て、出て来たんですけどね。
そいで母、姉んところに行ったんですけども、
加藤諦三:
はい
相談者:
また、母はすぐ追って・・自分の命を絶っちゃったんですね。
そいでそういった時に・・やっぱり夫婦愛って、感じれば良かったんですけども、
加藤諦三:
はい
相談者:
夫も口に出しませんでしたし、ま・・心が休まる言葉もないですし・・
加藤諦三:
はい
相談者:
ですからホントに・・壁に言ってるような感じで、言っても辛いですし、言わなくても辛いですし、っていう状態で。
加藤諦三:
は、はい・・あの、それで今日、あなたの相談ていうのはどういう事ですか?
相談者:
はい・・あの苦しさから逃れたい、ていうのと(苦笑)・・
加藤諦三:
この苦しさから・・
相談者:
はい
加藤諦三:
逃れる、ために、
相談者:
はい
加藤諦三:
今、わたしはどうしたらいいか?と・・
相談者:
そうですね。
加藤諦三:
いう事ですね?、はい、分かりました。
相談者:
そうですね、恐れ入ります。
加藤諦三:
今日はあのスタジオに・・
相談者:
はい
加藤諦三:
心についてのエッセイストとしてお馴染みのマドモアゼル愛先生が・・
相談者:
はい
加藤諦三:
いらしてんので、
相談者:
はい
加藤諦三:
伺ってみて下さい。
相談者:
はい
(回答者に交代)
連休疲れで、ボーッとしていましたが、目が覚めました。
常々、幸せ自慢をする人は不幸で、幸福な人は自慢話をしないと思っていましたが、当たっていて驚きました。
酷い体験をすると、事実を受け入れないと言う防御本能が働くのでしょうかね。
相談者さんも今は高齢者になっているでしょうが、自分の過去を正直に認め、幸せ自慢などしないおばあさんになっていると良いなと思います。
自分のずるさ、弱さを認めたくないためにつくうそ。自分のせいで、家族が死んだという事実。
でも、それらを認めたら、苦しすぎて、生きていけない気がするのも、わかります。罪悪感を抱きながら、ずっと生きていくのって、辛いですから。
そこから、自分を卑下しないで、素直に償いの気持ちを持って、生き直す、その段階に移るのも、難しいです。私も、その段階で、まだ、もがいてる気がします。40年以上経ちましたが。
誰に責められるわけでなくても、過去の自分に、いつまでも、深い悔いが拭えないですね。
間接的に家族を殺したことになるから。
どんな事情があったにせよ、子供が4人もいて、一人も味方になってくれなかったっていうのはキツいな。キツイわ。
飲んだくれの暴力父をこころから憎む!
子供達が虐待を受けなくて良かった。
暴力を振るう父親と、そこから逃げ出さない母親との、笑顔ひとつ無い暗い家庭。
18歳で親元を離れたというのも、無理もない。
自分を守るのに精一杯だったのでしょう。
実家の両親の生活になど、関わりたく無かったのでしょう?
嘘とわかっていても「元気でやっている」って信じたかったと思う。それが嘘やごまかしだと言えるのかなあ・・
亡くなったお母さんを精一杯 供養してあげて下さい。
36歳の長男と34kの長女がいます。長男は学業優秀国立大学卒卒業後司法試験合格しアメリカ留学しています。
他方長女は私立女子大卒業後転職を二度三度繰り返しています。()チー収書はうまくイかかない状況で、こちらから仕送りしています。
幼少のころは兄妹の部屋が隣にあったこともあり(これが失敗でした。ょ兄からのイジメ・セクハラがたびたびあったと書置きに残しています。(両親に行ったらひどい目に植わすと脅迫も)
一方で母親はピアノの才能から娘には音感の才能があると先生から言われ、つねる叩くの繰り返しで泣きながら練習しているのを自分は何度もみました。
父親の自分としてはピアノの練習まだしも、長男からの脅迫まがいのいじめセクハラは絶対に許すことができないです、(長男本にんは兄妹喧嘩程度はあったけど、イジメセクハラなど一切知らないと一笑に付しています。)
娘の書き置きには、自分(父親の言ったことは正確に書き記しています。ははのこともまだ、娘を立派に独り立ちさせたいとの絵もいであればまだ理解できるといっています。ただ長男は死ぬまで許すない。と)
オタク
昔の放送を掘り起こして
こんなところで
自慢話して
どういう神経してんの?