受身の人生。他者との関わりへの障害。ベーシック アングザイアティ
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
さっきね、自分が頑固だって言いましたね。
相談者:
はい。
加藤諦三:
で、自分でも、頑固っていうことを、納得してるでしょう?
相談者:
そうですねえ、そう、言われて来ましたのでえ、
加藤諦三:
それはねえ、ずうっと、あなたは、周囲が敵で、敵に対して身構えて生きてきたんですよ。
相談者:
怖いのでえ、
加藤諦三:
うん。
相談者:
私は、あなたを攻撃するようなことはありませんよ、っていう・・
加藤諦三:
そういうことです。
相談者:
はい。
加藤諦三:
恐怖と孤独なんですよ、心の底は。
相談者:
はい。
それは自覚しております、はい。
加藤諦三:
もう一つ言いますとね。
相談者:
はい。
加藤諦三:
他人に関心が無い。
相談者:
・・
加藤諦三:
他人に関心が無いっていうのは、人と話をしてるときに、本当は興味の無い話題なのに、
相談者:
はい。
加藤諦三:
いかにも興味がある振りをする。
だから、ほんとにその話面白い、思わず聞きほれるとかね。
相談者:
はい。
加藤諦三:
も、いい加減、その話、やめてくれ、つまんない、というんじゃなくて、
つまんない話なんだけれども、
相談者:
はい。
加藤諦三:
面白そうにして、聞いている。
ずうっと、そういう人生だったんじゃないの?
相談者:
・・はい。
加藤諦三:
だけど、今ね、必死になって人と関わりたいの。
相談者:
はー。
加藤諦三:
そいで、人と関わることを、妨害してるのは何か。
小さい頃の親子関係が、基本的に不安なんです。
相談者:
はい。
加藤諦三:
あの、基本的不安感、ベーシック アングザイアティていうのが、人と関わることの障害になるんです。
で、ずうっと、
相談者:
それは、感じ・・で理解しております。
ただ、子供の頃のことなので、
加藤諦三:
うん。
相談者:
今から・・どのように、
加藤諦三:
したらいいか。
相談者:
はい。
加藤諦三:
あなたはね、周囲が全部、敵・・と思わざるを得ないような環境の中で、生まれて成長してきたんです。
相談者:
はい。
加藤諦三:
つまり、親の心の葛藤を解決するための子育ての場合には、
相談者:
はい。
加藤諦三:
子供は基本的な不安感を持って、その基本的な不安感を持った場合には、人と関わる障害になるんです。
相談者:
はい。
加藤諦三:
今までのあなたの人生は、本当の気持ちを無意識に追いやって、その無意識に追いやった気持ちに、一生を支配されて来たんです。
相談者:
はい。
加藤諦三:
で、これで、全部見えましたから、今度は好きなことが見つかってきます。
そしたら、それに集中してください。
相談者:
・・
加藤諦三:
そうしたら、周囲が敵とかっていう、そういうことが自分の一つの人格の中に、ちゃんと、まとまってきます。
相談者:
・・
加藤諦三:
そしたら、生き返ります。
相談者:
はい。
加藤諦三:
よろしいでしょうか?
相談者:
はい、ありがとうございました。
加藤諦三:
親の心の葛藤を解決するための子育て。
最悪の環境です。
(内容ここまで)
出戻りメンヘラ女の愚痴かあ、ぐらいで聞いてたんですが、
子供3人いる!?
モノホンが出てきたと思いました。
15年以上前の離婚ですから、年齢から言って、当時3人の子供の中には就学前の子も含んでます。
なので、この相談者が求めさえすれば親権を取ることは難しくなかったはず。
相談者自ら、自分から離れたと言ってますしね。
だから、相談者が告白する、結婚の下りとか、子供に対する現在の感情とかも、偽りはないんでしょうねえ。
ただ、そこまで自己認識が出来ている相談者なんですから、このまま、生きていけばいいんじゃないかと思うんですが、そうはいかないんですね。
45になって堪えられなくなってきたと。
マズローの説によると、他者との関わりを持つというのは人間本来の欲求。
その欲求を、無意識の中にしまい込んだとしても、無意識は、文字とおり自分が意識できないだけで、存在が無くなるわけではないということです。
しかし、
子供ってすごいですね。
いや、この相談者自身のことです。
空気を読み取って、
環境に迎合し、
自分をも作り変えてしまう。
泣かないように、
感情を出さないように。
すべては生きるため。
もちろん、その環境適応能力のスゴさは、子育てする側が自覚すべき怖さとイコールなわけなんですが。
加藤氏の言う、心の葛藤を解決するための子育て。
これを愛情と錯覚してる親は多いと思うよ。
45歳にもなって、今さらどうしようもないんじゃない?という気もするんですが、加藤氏は、”生き返る”、と表現しました。
相談者が生き返ったとき、3人の子への感情にも変化があるんでしょうか?
ただ、過ぎ去ってしまった時間が長すぎます。
その感情は、もう、行き場所を失っています。
相談者にとっては、自分を取り戻すことが、新たな悲劇の始まりとなるわけです。