母79歳が口にする悪口にイライラする男へ。パラダイムシフト、ものごとへの見方を変える
(回答者に交代)
田中ウルヴェ京:
よろしくお願いします。
相談者:
あ、よろしく、お願いします。
田中ウルヴェ京:
確認ですが、お小さい頃からの、ご自身の、お母様に対しての、お母様像ですね。
お母様はどんな存在で、昔は、その、若い頃は、ありましたか?
相談者:
口がうるさいっつうんですかね、あと・・キツイっていうか・・
田中ウルヴェ京:
尊敬はしてましたか?
相談者:
尊敬はできなかったですね。
田中ウルヴェ京:
あ、なるほど。
そして、お父様がお亡くなりになられてから、最近は、やっぱり、口うるさいは変わらずですか?
それとも何か、昔と違って、お母様こうだ、ああだ、というのが、ありますか?
相談者:
ちょっとは大人しくなってるんですけど、例えば、自分がまた、良かれと思って、やるとまた、余計なこと言って、こっちをイラつかせるというか。
田中ウルヴェ京:
なるほど。
ちょっと今、お母様、に対しての、あなたの主観がどういうことなのかなあ?ってのをちょっと今確認しました。
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
さて、イライラしてしまうということなんですけれど、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
イライラする、理由というのが、自分の考え方に、あります。
相談者:
はい・・
田中ウルヴェ京:
先程、あなたが説明の中でお話ししてくださったように、「親戚の悪口を言ったりする時にイラつくんですよね~」と、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
おっしゃった後にですね、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
「楽しく、食べたいのに」、
相談者:
ああ、はい
田中ウルヴェ京:
っていう風な表現をなさいました。
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
人間の感情ってどういう風に起きるかというと、親戚の悪口を言う、という、お母様の、発言、によって、あなたは、「ああ、こんな風に言うと、イラつくな」って思われるわけですが、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
この、悪口を言う、というところと、自分がイラつく、の間に、大事な部分があって、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
親戚の悪口を言うお母様のことを、どう捉える自分がいるのか?によって、イラつく人もいれば、イラつかない人もいるわけなんですね?
相談者:
ああ・・はい、はい
田中ウルヴェ京:
で、例えば、親戚の悪口を言う、お母様が目の前にいたとしても、もしかするとあなた以外の人は、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
「ああ、またいつものパターンだなあ」、
相談者:
ああ、はいはい、はい・・
田中ウルヴェ京:
「お母さんはこういう風に、言いたいんだろうな」、と、捉える人なら、
相談者:
はい・・
田中ウルヴェ京:
すうっと受け流して、「そうだねえ、そういう風に、嫌な人もいるねえ」、みたいに、こう適当に受け流す人もいるでしょうし。
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
でも、あなたは、「もう、楽しく、食べたいのに」って思われるわけですよね?
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
これを、一般的な言い方としては、べき思考と言います。
相談者:
べき思考・・
田中ウルヴェ京:
こうあるべきっていう意味ですね。
相談者:
あああ、はい
田中ウルヴェ京:
食卓は楽しくあるべきなのに、とか。
相談者:
ああ、あ、うん、そう思います、自分は。
田中ウルヴェ京:
そうですよね?
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
なので、まず、イラッとしたなと思ったときに、「あ、俺、また、べき思考で、この状況捉えてるかな?」って、ちょっとこう、自分で独り言を言ってもらいたいんです。
頭の中で、ですけれど。
相談者:
そうなんですか、はい。
田中ウルヴェ京:
この、「あ、また思ってるな」、という、ひと手間だけで、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
ちょっとだけなんですけど、感情の客観視っていうのができます。
相談者:
ああ、はい
田中ウルヴェ京:
で、もちろん、客観視したからといって、イラつくんですけれど、
相談者:
うんん・・はい
田中ウルヴェ京:
でも、大事な点は、その、後に、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
余計にもっと、この状況を悪くさせるような発言を、することが少なくなるはずです。
でえ、こんなことをちょっとまあ、「あ、僕はまた、べき思考になってるな」、と思っていただく、経過の中で、是非、捉えていただきたいことは、所詮、イラつくのは、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
自分が、そうさせたいからだ、
相談者:
はい
田中ウルヴェ京:
ということです。
相談者:
なるほど・・
田中ウルヴェ京:
つまり、お母さんのせいじゃないんです。
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
お母さんの行動を、もっとこんな風にするべきだって、あたかも人のことを、
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
コントロールできるかのように思う、自分がいるから、
相談者:
ああ、はい
田中ウルヴェ京:
イラついちゃうんですよね。
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
ていう風に、こう、「あ、イラつくのは、俺のせいだ」、と、思うだけで、ちょっと、変えていける自分が、見つかる可能性は沢山あります。
相談者:
はあ・・
田中ウルヴェ京:
なので、べき思考の可能があるんだなっていうのが1つ、それから、ああ、そうだ、そうだ、べき思考だから、目の前のものがイラつくんだ、
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
つまり、自分のせいなんだ・・
相談者:
自分で決めつけてる、ことを、
田中ウルヴェ京:
はい
相談者:
決めつけないっていうか、そういう感じで・・?
田中ウルヴェ京:
そうですね。
相談者:
ああ、はい
田中ウルヴェ京:
これは、お母様を目の前にすると、ちょっと難しいかもしれないので、あえて、お仕事の時、あるいは通勤電車の時などに、
相談者:
はい、はい
田中ウルヴェ京:
ご自身のべき思考って、出てるはずなんですね?
相談者:
あ、はい
田中ウルヴェ京:
例えば、レジ待ちで、「おー、もう、この店、早くレジ、しろよ」、とか、
相談者:
ああ
田中ウルヴェ京:
電車の中で、「こんな、若者が座ってるべきじゃないのに」、とか、
相談者:
ああ、ん、はい
田中ウルヴェ京:
そんな時に、自分の練習で、「あ、また、べきで、勝手にこの、若者の行動を、コントロールしようとしてるな」、とかってこう、
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
気付く、練習をしていただくと、ちょっとお母様のことを、
相談者:
はい・・
田中ウルヴェ京:
客観的に見えるようになりますよね。
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
決してべき思考は、悪いものではありません。
相談者:
はい・・
田中ウルヴェ京:
ただ、それ、によって、イライラして、人を傷つけたりしたら、
相談者:
ああ・・
田中ウルヴェ京:
もったいないので、「あー、なんて俺は駄目なんだ」じゃなくて、「べき思考だな」って思って、
相談者:
はい、はい
田中ウルヴェ京:
「さて、べき思考じゃない、見方をしたら、全然違うよな」、ていう風に思うだけで、ちょっとこう、時間が稼げますから。
ちょっとそんな風に、やってみてください。
相談者:
はい、分かりました。
田中ウルヴェ京:
はい、加藤先生に、お返しします。
相談者:
あ、ありがとうございます。
田中ウルヴェ京:
ありがとうございまーす。
(再びパーソナリティ)
毎回、聞いて思うんだけど、なぜ、電話をかけてきた相談者に問題があると話を持って行くの?このお母さんが電話して来たらこのお母さんに問題があると言うんだろうけどね…
結局、ほんのわずかの時間だけ話を聞いて、わかってるように言わないで欲しい
毎回・・確かに。(笑)
相手だけを変えることは出来ないんだっていう大前提があるみたい。
そうですね…
自分が変わらなきゃ相手は変わらない
相手が変われば、こちらも変わる…
これって、ニワトリが先か、卵が先か?
そんな感じに思ったりするのは、きっと
私が素直じゃないから??
一番いいのは、互いが一緒に成長する事だと思うけど、それも理想論かも…
問題がある人だから電話かけてくるんじゃん?
問題ない人なら、たとえイライラするような人と同居してても、自分で客観的に見てうまい対処できるよ。
このへんがわからないならあなたにも問題があるかもしれないわ。