早く亡くなればいい。母に対するアンビバレントなこの気持ち、どうすれば?
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
僕も、ホントに、その通りでねえ、
相談者:
はい
加藤諦三:
あなたは、あなたで生きてけば良いんですよ。
相談者:
ああ・・
加藤諦三:
お母さんに振り回されない。
相談者:
はい
加藤諦三:
だから、自分の憎しみにい、自分が振り回されないようにしなきゃいけないんですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
で、お母さんも、寂しい、あなた・・が、一緒に居て欲しい、孫も、一緒に居て欲しい。
相談者:
はい
加藤諦三:
でも、お母さんの方もお、アンビバレントなんですよ。
相談者:
アンビバレント?
加藤諦三:
ど、要するに、好きだけど嫌い。
相談者:
ああ。
加藤諦三:
愛してるけど憎んでいる。
相談者:
そうですねえ。
加藤諦三:
うん、だから、やっぱり、あなたの中には、お母さんからの積極的関心が欲しいのに、
相談者:
はい
加藤諦三:
お母さんが、自分に対して積極的関心を持ってくれなかったという憎しみがあるんですよ。
相談者:
そうなんです、それなのに、こんなわたしも40う、過ぎてえ、もう40半ばなのに、なんで今更、こんなに関わって来るのかな?っていうのがあってえ、もう、今はもう・・
加藤諦三:
そ、それはだって、寂しいもん。
相談者:
ははは(笑)
勝手ですよねえ。
加藤諦三:
うん、勝手、そりゃ、勝手(笑)
相談者:
(笑)
加藤諦三:
いや、で、ですからね、
相談者:
うーん
加藤諦三:
あのね・・・人間って、自分も勝手だけど、他人(ひと)も勝手なんです。
相談者:
そうですねえ、はーい
加藤諦三:
で、その、自分も勝手で、他人(ひと)も勝手で、まあ、みんな勝手な中で、それをどうやって、生きて行くか、っていう事ですよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
よろしいでしょうか?
相談者:
はい、分かりました。
加藤諦三:
はい、どうも、失礼します。
相談者:
ありがとうございましたあ。
加藤諦三:
自分が、自分を認められない人ほど、他人に認められたがります。
(内容ここまで)
アンビバレント ambivalent:
相反する感情を持った、両面的な感情の
どうすれば?って言われてもねえ。
だって言ってることが普通過ぎて。
親に対するアンビバレントな気持ち。
母親との価値観の違い。
こう言うんだけどさ、
にんじんが好きになれないんですけど。
カラスがカァと鳴くんですけど。
こう言っているようなもん。
親に従順だった時代から、反抗期を経て、親と距離をとるようになる。
これを自立と呼ぶ人もいるみたいだけどさ。
あんたもそれ。
「勝手ですよねえ」 (寂しくて干渉してくる母のことを)
「67歳になって人って変わります?」 (あくまで変わるべきは母の方)
うん、今が一番離れたところまで来ちゃってるの。
だけど、親子の関係にはまだ先のステージあってだな。
もう一度、親子が歩み寄っていくっていう。
もちろん子どもの頃の従属関係とはまったく違う。
怒りが理解に変わるとか、
至らなかった点も含めて受け入れるようになるとか、
当たり前だと思ってたことが感謝に変わるとか、
あるいは、期待を裏切ったことにすまない気持ちとかも出てきたり。
そんな感じのステージ。
こういうの、親が亡くなってから迎える人もいるし、一生迎えられない人だっているけどね。
3人子持ちの母子家庭で親の支援を断るなんて、ご立派だけど、それが出来る生活力、境遇を手に入れることが出来たのはなぜ?
「母の希望に添えればと思って、一生懸命、習い事とか勉強とかも頑張って来た」
もちろん一番はあんたの努力と運だろうけど、環境を与えたのは間違いなく母親なんだよ。
たとえそれが自己顕示欲だったとしてもね。
あと、大人になってからお父さんと2人っきりで話したことある?
もし、ないんだったらしてみたら?
自分が生まれたときのこととかの話。
ま、まだまだ先はあるし、今は両氏が言うとおり自分の生活第一でいけばいいんだけどさ。
ただ、45歳のお母さんにしては、幼すぎると思ったのは声のせいではないのだけは確か。
母亡き後、関係修復のきっかけをつかむ女。
「母の葬式にも出なかった娘に届いた形見分けのハンドバッグ。今の生活が母からの贈り物」