45年前に別れた娘に一目会いたい。なぜ手放した?なぜ今?加藤諦三が迫る
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
もしもし?
相談者:
はい
加藤諦三:
あの、45年間、それは、もう大変、長い、ひ、一人娘ですからねえ。
相談者:
はい
加藤諦三:
会いたいという気持ちも、それは分かるんですけど、む、何故、今あ・・そういう気持ちが、で、行動を起こそうっていう事になったのか?
相談者:
やっぱり、あの、年が行ってえ・・それでも、ちょっと今、病気でね、寝込んでえ、保険とか、色んなもんで、したら、成年後見とか色々なもんを、手続きい、の、事で、してますから、やっぱり、わたしが亡くなった時には、ちゃんとやっぱり、娘にも、少しでもあげたいなと思って、ちょっと・・思うようになったから、ちょっと相談してるんです。
加藤諦三:
ああ、そうですか。
はい、まあ、今あ、坂井先生があ、言われたような方法以外には、ないですよね。
相談者:
はい
加藤諦三:
ただ、第三者から見るとお、
相談者:
はい
加藤諦三:
なんで、ここまで、周りの言いなりになるのかなあ?、と。
引け目みたいなもの、あったんですか?
相談者:
うーん、引け目はないと思うんですけど、やっぱり、わ、ああ、父親がいない家庭ですから。
加藤諦三:
あー、だから、そうすると、ずーっと、そういう引け目があって、生きて来てえ、け、今度、今の結婚も、なんか負い目があってえ、
相談者:
はい
加藤諦三:
うん、そりゃ遠慮はしてるっていうのは、分かりますよねえ。
相談者:
はい
加藤諦三:
ずーっと、今まで、胸張って生きてえ、来られなかったんだねえ?
相談者:
はい
加藤諦三:
うーん・・だけど、心の底で、この娘だけは、って気持ちが出て来たのか?
相談者:
はい
加藤諦三:
うーん・・それで、なんかこう、自分の人生に引け目とか負い目とかを持ってるみたいですけれどもお、
相談者:
はい
加藤諦三:
もうー
相談者:
いや、もう、
加藤諦三:
何度も、何度もそういう気持ちを持つ必要もないわけですからあ、
相談者:
はい
加藤諦三:
これからあ、胸を張って生きて下さい。
相談者:
はい
加藤諦三:
はい、どうも失礼しますう。
相談者:
はい、ありがとうございました。
(内容ここまで)
女を苛(さいな)む娘を手放した本当のワケ
電話する人もリスナーだから分かってるだろうけど。
聞きたいことに、ハイハイって答える番組じゃないわけよ。
「なんで、あなたはそれを悩むのか?」
これ。
特に加藤先生はね。
リスナーのニーズでもある(笑)
でも尻切れトンボだったねえ。
あたしがバトンもらうわ、センセ(笑)
よく分からないのが離婚のいきさつ。
調停を申立てたのは旦那?
有責のクセして。
つまり、アンタが実家に帰ったことを妻にあるまじき行為として旦那が離婚調停を申し立てた。
目的は娘の奪還。
こういうこと?
うーん、イマイチ。
だって親権争いは妻の方が圧倒的に有利だし、旦那にとっては私的にやった方がいいからだ。
やっぱ、アンタだね。
調停を申し立てたのは。
旦那に女が居るのが分かって、娘を連れて実家に帰った。
ところが旦那が離婚に応じないので調停を申し立てた。
で、とにかく別れたい一心で、離婚条件にまで目が向かなかった。
こう?
加藤 養育費とかは考えなかった訳ですね?
女 はい、全然、そんなもう
ふーん・・
旦那がその話題を避けるのは当然だけど、幼子抱えた妻側に養育費について水を向けない調停員なんていないと思うよ。
加藤氏じゃなくたって、どうしたって疑問が湧くのが娘の親権。
45年前に別れた娘が45歳ってことはホントに乳飲み子だったわけよ。
旦那側に祖父母が揃っていようが、そんなことで母親が負けるわけがない。
赤ん坊を調停に連れて行くなんて、これ見よがし。
なかなか、強(したた)かだ。
なんだったら調停員の前で乳飲ませろ。
しかも、調停なんだから、直接のやり取りは中立の調停員だ。
初日と最終日以外、旦那とは顔すら合わせない。
アンタは冷静に判断できる環境だったハズ。
ごまかしたってだめ。
忘れてるなんてウソ。
昨日のことのようにハッキリと覚えているからこそ苦しいんであって。
アンタは考えぬいて、ちゃんと自分の意思で、娘を手放したの。
娘をバーターに使ったでしょ?
どういうことかと言うと、夫は条件を出してきた。
「娘をこっちに渡すなら離婚に応じる」
これにアンタも乗った。
坂井くんも、戸籍謄本の取得なんかでケチ臭く弁護士アピールすんじゃなくってさ。
調停でクライアントファーストの弁護士が代理人となるメリットを言えよ。
ま、後の祭りだけどね。
番組聞いてる全国の離婚予備軍に向けてだ。
この女、安易に妥協してしまった自分に苛(さいな)まれてきたってこと。
時計を戻せたら・・と何度もね。
再婚相手が種なしだったことが災いした。
だけど、今さら娘に会いたいって言ってもさ、この旦那と舅姑が、あんたのことを、娘にどう吹聴してきたかは、もう火を見るより明らかだっつうの。
有ること無いことって言うより、無いこと無いこと。
何より捨てたっていう事実は動かしようがない。
娘はあんたのこと恨んでる可能性だってあんだよ。
それ、アンタも分かってるみたいだけど。
「陰からでも会いたい」
哀れだ。
「死ぬまでに一回会えたら」
「ちょっと今、病気でね、寝込んで」
そういうことなんだ。
68歳。
まだそういう年でもないのに、意識せざるを得ないことが起きてるわけだ。
バカだなぁ、大バカだよ。
いくら産後の育児が辛くとも、経済的に不安でも、大切なものは絶対に手放しちゃダメだ。母親が乳飲み子の親権をとるなんて、容易いことなのに。
それも、離婚したいくらい嫌な旦那に渡すなんて。その一点だけでも最低な母親(相談者にも事情があったにせよ)の烙印を押されても仕方ないよ。
顔も覚えてない、そばに居て欲しいときに居てくれなかった母に、娘はどう思っているのか。
素直なだけでは幸せになれない。
その45年前にいた家に生き別れた娘に継母が弟でも産んでいれば案外簡単に見つかるかも。
まずは元いた家に行ってみること。
更地とか区画整理になってるかも知れんが。
この娘さんと同じ境遇です。ビックリしました。自分の事かと思いました。
まさに45年前、乳飲み子だった私の親権争いで、離婚調停で父側に親権が行き、私は祖父母に18まで育てられました。
その後父は私が10歳の時に再婚して、腹違いの妹と弟がいます。
一変して窮屈な家庭環境からずっと我慢して、高校を卒業して就職ですぐ実家を出ました。
今まで色々あったけど・・今、私は再婚して娘がいます。
そして、こんな可愛い、唯一無二の存在を手放すなんて、信じられない気持ちでずっと生きています。本当の鬼はいるんです。
厳格で嫌いだった父に対して、今は、高校に通えたのは父のお陰だと思って感謝しています。社会人になって、高校を中退したり、高認で高卒の資格を得た人の存在を知りました。
多分、生母の元で暮らしていら私は高校も、ろくに行けなかった身分だと容易に想像できます。
散々、幼少時に生母の悪口を祖母に聞かされて育った私に、憎しみも何も感情は無いです。
私の肉体を産んでくれて有難うくらいかな~
管理人者様のコメント好きです。
坂井先生
間違ってますよ。
親子なら、戸籍は取れます。このお母さんが子の出精の時から戸籍をたどれば、現在の子の戸籍と附票が取れます。それで現在の子の登録住所が分かります。
私は現在46歳ですが
実際の年齢は1、2歳の誤差があるかもしれません。
というのも、
小さい時に施設にいたのですがその時に3歳くらいであろう、という感じで誕生日も適当に決められてしまったからです。
施設に入って1年も経たないくらいにある家族に引き取られ育ててもらいました。
私の戸籍は代理人の人が作ったみたいです。
生みの親がどこに住んでいてどういう名前でどう言った経緯で私が施設に入ったのかまったくわかりません。
私自身も生みの親を探したくてもどうすれば良いのかわからない状況の中、たまたまこの動画をみつけて何かひっかかるものがあったのでコメントさせていただきました。
その方が探しておられる娘さんの名前が知りたいです。
私も45年前娘を施設に預けました。児童相談所を通して一歳の娘を私が自自神経で、そこから養子縁組で、お子さんのみえない家庭に、裁判所で合ったのが最後です、合いたいと思う気持ちは今もあります、でも相手が迷惑かもね。