ニート女の思い込み。父の暴言DVにノーと言えなくなりました。加藤諦三「実は‥」
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
ええ、あなたどうですか?
大原先生の話聞いて。
相談者:
えー、そうですね、わたしの無意識の話なので・・自分ではよく分かってないですけど、たぶんそうなんだろうなとは思います。
加藤諦三:
うん・・まず父親に対する思い込みが間違った思い込みなんです。
相談者:
はい
加藤諦三:
いいですか?
相談者:
はい
加藤諦三:
あなたの本当の憎しみは・・
相談者:
はい
加藤諦三:
母親なんです。
相談者:
え?!そうなんだ。
加藤諦三:
・・あなたの本当の・・
相談者:
ほんと・・
加藤諦三:
現在の行き詰まった状況の真の原因は母親です。
相談者:
へえー、母親。
加藤諦三:
母親との関係です。
相談者:
そこは盲点でした。
加藤諦三:
・・よく言ってくれたね?
「そこ盲点だ」って。
相談者:
え?そうですかあ(苦笑)?
大原敬子:
フフ
加藤諦三:
つまりあなた、すごい安易に物事を考えてんの。
相談者:
あ、それはありますね。
加藤諦三:
・・あ、また認めてくれた。
相談者:
ハハハハ(苦笑)
加藤諦三:
良かった。
相談者:
自分でもそう思います。
加藤諦三:
・・そこがあなたの一番の・・問題点。
相談者:
人生を安易に考えている。
加藤諦三:
安易に考えてるからどんどん、どんどん悪いほうに来たでしょ?25歳まで。
相談者:
はい
加藤諦三:
・・きちんと・・現実と向き合って生きれば・・
相談者:
はい
加藤諦三:
今のような25歳にはなっていないんです。
相談者:
そうですね(苦笑)
加藤諦三:
・・常に逃げて来た・・
相談者:
はい
加藤諦三:
常に安易に考えて来た・・それが25歳の今の、あなたなんです。
相談者:
そうですね。あ、また言っちゃった。
加藤諦三:
・・うん・・この安易さを直せば・・
相談者:
はい
加藤諦三:
・・すべて解決します。
相談者:
・・はい
加藤諦三:
・・
相談者:
・・
加藤諦三:
よろしいですね?
相談者:
はい
加藤諦三:
はいどうも失礼します。
相談者:
どうもありがとうございました。
退職後は退職金と年金。
ニート続けれそうね。
公務員を全うした母に感謝。加藤諦三
もうこの世の中は恐怖というか生きることが、怖い‥女
‥うーん(そこまではない)、そうですね、はい(笑)
#teljin #テレフォン人生相談 #読むテレフォン人生相談
— 読むテレフォン人生相談 (@KtatsMi) April 7, 2020
相談者は本当に25歳?
あまりにも幼すぎ
コロナが落ち着いたら、とりあえず働こう。
相談者は若干の知的障害がある子なのでは?
コメ欄にもある様に 話し方がとても25歳に思えません…
思うにお父さんが突然にキレたりするのは相談者に原因があるんじゃないですかね。(だからと言って相談者が全て悪い訳では無いと思いました)
たまに自閉症ぽい相談者が見受けられるのだが、回答者は彼らの特性に合わせて回答されているのだろうか。
少し疑問に思います。
私は大原先生の言うことがよくわからなかったです。
ウルベでなくて良かった‼️
今日毎月購読している月刊誌が届きました。なんと、このテレフォン人生相談の新しいパーソナリティーに就任された《玉置妙憂》さんのエッセイがこの月刊誌5月号から始まったようです。最近後味悪い内容が多いこのテレ人に新しいパーソナリティー玉置先生が就任された事、大いに期待しています!この番組に助けを求めてきた相談者さんが、皆、幸せになって行けますようにって。
やっとラジオで放送されたんですね。
私は滑舌が悪いからお蔵入りになったのかと思ってました。
コメントされてる方たちの推察通り、私は20歳の時に軽度の自閉症と診断されています。
今は嘱託で働いてます。
あとどなたかが仰ったように
精神障害手帳2級持ってますw
鬱病だとか統合失調症だとか双極性障害だとか発達障害からの二次障害だとか適応障害とかいろんな診断をされましたが自分でもどれかわかりません…
父親から怒鳴られて殴られたのは事実なのに思い込みだと言われたのは心外でしたがそれ以外は勉強になりました。
それでは失礼しました。
ネットで勝手なことばかり書いて申し訳ない。
追記を読むと諦観されてるね。
ご自身のことを俯瞰できて、その点で深みのある方だとわかるよ。
周りの助力を得て、自分のできる範囲で頑張ってらっしゃる。
ここに書き込むこと自体、勇気が必要だったよね。
>父親から怒鳴られて殴られたのは事実なのに思い込みだと言われたのは心外
先生の言われた「思い込み」が指す部分は、怒鳴られたことではなく別のことだと思いますよ。守ってくれなかった母親に対する猜疑心もあるのに、憎しみ等の負の感情の原因を全て父親にしている所が「思い込み」かもしれないよ?ということだと解釈しました。
こういった小さな誤解や齟齬が積もりに積もると弊害になってしまいますので、その都度なるべく正しく認識しようという意識が大切なのだと思いました。