暴力親父の告白。今も殴られる子どもたち。反省態度が暗転する最後の奇妙な質問
(回答者に交代)
高橋龍太郎:
あ、初めまして、高橋です。
相談者:
あ、はい・・初めまして、よろしくお願いいたします。
高橋龍太郎:
こういうふうに、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
暴力を振るって、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
怪我をさせるっていうのは
相談者:
はい
高橋龍太郎:
何度もあったんですか?これまで。
相談者:
えーっと、怪我をしたというのは初めて、ですね。
高橋龍太郎:
ふうーん
相談者:
はい
高橋龍太郎:
でも、まあまあ、殴ったり、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
蹴飛ばしたりっていうよなことは何度もあった?
相談者:
う、そうです、殴るというか、もう平手打ち、
高橋龍太郎:
平手打ち
相談者:
そうですね、げんこつやら、はい、そうですね、あります。
高橋龍太郎:
平手打ち、げんこつがどれぐらいの・・ペースであるんですか?
相談者:
そうで・・半年に1回、2、3ヶ月に1回ぐらい・・かなあ?と、いう感じです。
高橋龍太郎:
下の娘さんにもあるの?
相談者:
・・え、そうです、あの頻度は全然低いんですけれども。
高橋龍太郎:
低いけれども。
相談者:
やっぱり、うん、そうですね。それでも年に・・1回、2回ぐらいはあるかもしれないです。
高橋龍太郎:
年に1、2回、娘さんも、
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
平手打ちなりで殴るの?
相談者:
え、そうです、平手打ち、ですね、はい、あります。
高橋龍太郎:
あー、ふうーん
これね?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
今、普通う、に、相談してるけれど、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
例えば、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
怪我をして、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
小児科なり、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
外科なりに行って、
相談者:
はい、はい
高橋龍太郎:
そこのお医者さんが、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
人に殴られた、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
痕だ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
というように、認識して、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
警察に電話したら、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
あなたはほんとに・・捕まって、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
留置されますよ。
相談者:
そうですね。はい
高橋龍太郎:
うん
完全に・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
虐待ケースです。
相談者:
そうですね。
高橋龍太郎:
うーん
相談者:
はい
高橋龍太郎:
だから・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
多くの場合、虐待は、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
どんなふうにして止(や)まるかっていうと、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
警察に留置されると直るんです。
相談者:
ああ、はい
高橋龍太郎:
それぐらい・・
相談者:
はい・・(咳払い)
高橋龍太郎:
本当に、深刻なケースだっていうふうに自分が自覚しないと、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
この先、本当に、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
いろんなことが起きる可能性が出て来てしまう。
なぜかっていうと、
相談者:
はい、はい・・はい
高橋龍太郎:
暴力によって育てられた子どもは、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
特に男の子は、自分の、自我が目覚めて、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
大人になって行くときに、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
当然反抗期を迎えるわけですけれど、
相談者:
はい、はい
高橋龍太郎:
お父さんが殴って来たら、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
それに対して、対抗できるのは言葉ではなくて暴力だと思えば、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
身体が大きくなるに従ってお父さんに対抗暴力で、向かって来るようになりますよ。
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
これ最悪なケースじゃないですか。
相談者:
はい、そうですね、はい
高橋龍太郎:
ねえ?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
で、そもそも、そら、どこが・・出発点かっていうと、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
子どもを、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
1人の人格として認めてないところから出発してるわけ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
・・子どもを、自分の付属物だと思ってる。
相談者:
うーん・・はい
高橋龍太郎:
ね?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
だから・・自分の所有物だから・・自分が思うように・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
変わってくれないとイライラして、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
殴ったりするってことで、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
もちろん、子どもだから、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
鍵の大切さっていうようなことは・・或いは、それで・・盗みに入られたらどうなるかなんてのは想像を、してみても・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そんなリアリティないですよ、大人のように。
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
だから、それは子どもは何度も何度も、いろんな大人の世界の基準からすると、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
失敗するわけ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
でもそれを修正するのに、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
言葉以外にないんですよ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
ね?
相談者:
うん
高橋龍太郎:
荒げた感情や暴力で、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
それを修正することはできないの。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
なぜかっていうと1人の人間だから。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
ね。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
だから・・子どもの人格を尊重する。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
要するに・・他人には、ね?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
「ほかの人には」あなたはあ・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
え、「そういうことはしない」っていうふうにさっきおっしゃったけど、
相談者:
・・そうですね。はい、はい
高橋龍太郎:
てことは逆に言うとさ、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
子どもに人格を認めてないからそんなことしちゃうんじゃないですか。
相談者:
うーん、はい、&#△%
高橋龍太郎:
子どもも他人のうちの1人。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
確かに身内かもしれないけど他人なんですよ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
ほかの・・人間。1人の人間。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
だからやっぱり、その人を、本当に教育しなきゃなんないとしたら、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
その人が、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
一番、分かりやすく、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
自分のミスを受け止める方法は・・どんなもんだろう?って考えて、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
それに当てはめて行動するっていうのが、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
親の役割でしょう。
相談者:
はい、そうです。
高橋龍太郎:
ねえ?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
それはもう・・本当に子どもの、将来に・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
大きな影を落とすよ。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
ね?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そうすると・・あなたのお子さんも、大人になったときに、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
自分の子どもに、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
また暴力を振るう。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
なぜかっていうと言葉を尽くすよりも、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
一発殴るほうが簡単だから。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
でも、簡単な方法で、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
人間を変えてくってことはできないんですよ、時間を掛けてゆっくり・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
向き合うことで人間は変わって行くの。
相談者:
ふうん
高橋龍太郎:
ね?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
だから・・あなたがもし変わろうっていうんだったら、もちろん・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
1回の人生相談では、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
なかなか・・そんな簡単に変わるかどうか分からないけれど、
相談者:
はい、はい
高橋龍太郎:
やっぱりあなたも変わりたいと思ったら、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そういう・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
今・・地域の保健所とか、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
いろんなところで、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
暴力を振るってしまう、親に対する
相談者:
はい
高橋龍太郎:
講座みたいのはたくさんあるから。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そういうところに何度も通って、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
子どもを1人の人間として認めるにはどうしたらいいか?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
或いは・・うまく・・その・・えー、社会的な規範に乗っかっていかない子どもを・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
所謂、躾けるという形で、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
修正してくにはどうしたらいいか?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
いろんな講座が開かれてるから、そういうところで、
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
ね?言葉による修正っていうことを、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
あなた自身が言葉を聞きながら、学んでくことがすごく大事だと思う。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そうじゃないと、ほんとに留置されますよ、このまま行ったら。
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そうなったら、ね?もっと悲劇じゃないですか、お父さんは今・・ね?警察署に捕まってるよなんていう・・
相談者:
はい
高橋龍太郎:
そんなふうに・・言う子ども達と、お母さんとの会話を考えてごらん?
相談者:
はい
高橋龍太郎:
ね?大変じゃないの。
相談者:
はい・・そうですね。
高橋龍太郎:
ね。
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
子どもは、1人の人間であるっていうこと出発して、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
子どもって考えないで、
相談者:
はい
高橋龍太郎:
人間同士の向き合い方として子どもに向き合うように・・
相談者:
はい・・はい
高橋龍太郎:
してみてください。
相談者:
ありがとうございます。
高橋龍太郎:
はあい
(再びパーソナリティ)
相談者はこれまで子供に謝ったことはなく、子供に謝るという発想もなかったかもしれないですね。
だから最後にあの質問になったのでは?
でもこうやって相談してきたのが救い。
素直そうだし、これからきっと大丈夫だと思う。
自分なんかは父親から体罰を受けて育ってきたけど、ちゃんと悪いことしたときだけやられてたから、子供ながらにこれは当然の報いだと思っていた。つまり自分のこども心の中では、体罰は罰や教育としてちゃんと機能していた。だから一度した悪いことは二度とやらないように反省できた。だけど、そんな状況で親から謝られたらすごく困惑しただろうなと思う。体罰がいけない行為だと知ってしまったら、今まで自分が受けてきた行為は何なのかと混乱しただろうなと。だから謝り方も結構考えなくてはならないだろうなと思ってしまう。体罰そのものを全面的に謝ってしまうと今までのしつけの根幹や子どもの信頼関係を壊しそうで怖い。というのが体罰をそれなりに受けて育った自分の意見。多分他の人にはわかってもらえないと思うけど。
体罰が人の心を歪めるという好例ですね。
自分がやられてきた事がおかしい事だと思いたくない。なぜならそれも含めて自分自身を形作ってきた過去だから。
性被害者の心理とも通じる思考です。
自分の体験に照らせば親が体罰を謝って来たとしたらそれこそ恨みや憎しみが残ったり親を殴り返したりしてたと思うけどね。そうなったらどっちの方が歪んでるかわかったもんじゃない。
これから新たに体罰しようっていう親には大反対するけど、既に起こってしまってる体罰については、親子関係や信頼関係における体罰の意味や効果を個別のケースで吟味しないと意味がないよ。既に歪んでるんだとしても、いきなり謝りでもしたら、それをもっと歪ませかねない。しつけのためだったって堂々としてた方が歪まないケースもあるよ。
っていうような意見は元コメントでも述べているようにわかってもらえないと思ってるけど、でも思考停止で体罰絶対ダメと言ってる人よりは当事者を慮ってると思うけどね。
関係者189へ電話してください
ラジオ聞いてる感じでは人当たりの良さそうな、問題無さそうな人に聞こえたのだけど、いろんな闇の部分があるのですね。今井先生が成育環境を尋ねてましたが、高橋先生はそこには行かず今起きている事の重大さを説く方向だったのが印象に残りました。加藤先生だとまた違った話になったのでしょうね。良い方向に行ってくれれば良いですが、やっぱり最後不安残りました。
同感…加藤先生の話を聞きたい
相談を聞いていて苦しかったので訴えます。相談者さん、暴力受けて育ったのではないかと。自分自身を自らの親から受けたのでしたら切ってください。そして自分の家族を作って下さい。暴力が許されるのは本当に命に関わったり人を傷つけると思われる時しか駄目です。愛情が根底にあってであれば子にも通じるかも知れませんが。自分以外は他人です。それぞれの人格を持って生きています。せっかくお子さんを育てているのだから心に寄り添って愛情を注いであげて下さい。子供時代の心に背負った傷がどれ程尾を引くか。。この子の未来は今の貴方様の子育てにかかっているのですから。他人を傷つける事は必ず自分に還って来るのです。逆に他人を大切にする事は自分を大切にする事なんです。この道理が分かれば他人、子供も含めて傷つける事はしないはず。どうか未来の宝を大切に。
どうしたらいいでしょう…と言っているものの実は『貴方は悪くない、子育ては大変だもの』という言葉を求めている。御本人はそれに気付いただろうか。
暴力で躾をしようとする人は皆必ず『口で言っても聞かない』と言います。人間に生まれて人間を相手に、これ以上無礼で恥知らずな言い種は無いのに。
更には『自分は本来穏やかな人間だ、しかしアイツが私を怒らせ暴力を使わせる』と常に相手に憤っています。これは後悔や反省と無縁な生き方を、ずっと許されて来た人独自の価値観です。この方も、暴力を使わない自分に変容する為のアドバイスは実は必要としていないのが真実。
ウチの子、親を暴力的にしない子に改まりますか?という叫びが聞こえる。
謝るべきか判断出来ないのも、親は子供に何をしたっていい筈だ、との思いが根底にあり、ハードルが高いのだ。
これ以上暴力はマズイ…でも仕方ない…自分は間違っていない…要は早く子供が改心してくれりゃ…等々の葛藤が苦しくて電話しただけ。
損なわれた我が子の心を微塵も案じていない。本当に怖い。
子供達みんな殴られた時、大声出して泣いてたらまだましな気がする。泣くともっと怒られると思って泣くのを堪えたら、心の傷は深いかもしれないですね。
昔?は学校でも家でも叩かれる事はよくありましたよね。今は警察のお世話になりかねない事案となる社会です。そして、これは今も昔も同じですが、子供心に傷が残ってしまいます。相談者さんは先の方々もおっしゃっておられますが、叩かれた事があるのでしょうか。。。
お仕事、勘ぐり過ぎかも知れませんが奥様のお義父さんの会社ですよね。気疲れでストレスとか溜まってないでしょうか?心にゆとりがないと、手が出てしまいがちにはなりませんか?
絶対、妻にも手を出している。
相談者さんの言っている内容以上の暴力はしているはず。
そして「は」さんの言う妻にも。
酒飲んでも飲まなくても暴力は日常的に行われている。
奥さん・・・お子さんのSOSを勇気を出して何処かに発信して
対処してもらいです。
これはヤバいです。
↑の者です。
言い忘れましたが・・・
相談者さんの発言の中で「他人に対してあまり暴力はない?」
あまりってことは暴力あったって事なので、元々手を挙げる人間なんでしょうね!
奥様に今度俺が暴れたら110してくれとお頼みなさい。
そうすれば一度逮捕されて改められるんじゃないんですか?
爪が剥がれるくらい体罰!異常です。自分自身の感情をコントロールできない。誰か通報して下さい~
今もどこかで、子供が虐待されているかと思うと胸が痛む。何故こんなひどいことができる人間が増えているのか。生育環境の他にも何か原因があるのでしょうか
この相談を読んで、どうしても子ども時代が蘇りました。
母親は外からは魅力的とか素敵だと言われる人間でしたが、末娘の自分だけは一個の人格とは思えないと言い平手打ちでよく殴られました。
上の方のコメントで謝られるより躾だと開き直って貰った方がいいと言われてる方がいますが、その気持ちも分かります。
自分も躾として受けた暴力で躾けられてしまったので、暴力のもとに理不尽な言いつけも守る自分が偉いのだと思いたがってました。
ですので親など目上に対して萎縮せず、ワガママ言ったり甘えたり伸び伸びと振る舞う友人たちが時として憎くて仕方ありませんでした。
あんな風に甘えるなんて、なっちゃいないと。
それは、ちゃんと愛されて育った人への嫉妬でした。
そういう感情が、暴力を受けた者の歪んだ心理です。
わかってても、同じように目上に甘えることは逆立ちしてもできない。
暴力で育った者のプライド?矜持?
やはり、子どもへの暴力は心に「歪み」をもたらすと思います。
これ、児相に通報レベルの案件だと思うけど···。
今の時代でもこんな酷い暴力を振るっておきながら、公的な機関から注意も何もされずに親業を続けている人が一定数いるのかと思ったら、背筋がぞっとする相談だった。
病院でどうして怪我したか訊かれた時に転んだとか言ってごまかしたんだろうと思うと腹が立つ。医師が通報してくれれば良かったのに。可哀想に…体の傷は治っても心の傷はずっと残る