寝たきり・全盲の夫を在宅介護する76歳。透ける40年前の黒いワナ
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
もしもし?
相談者:
はい。
加藤諦三:
在宅介護で、疲労困憊している割りには、お声元気ですねえ。
相談者:
へっへっ、わたしねえ、あの、もうちょっと若いときは、あの、カラオケなんかにも、
加藤諦三:
あー。
相談者:
行ってましたので。
加藤諦三:
若い頃は、
相談者:
だけど、声だけは、元気で、してないとねえ。
加藤諦三:
いや、
相談者:
なんだか、もう、自分、気が滅入ってくるもんですから、
加藤諦三:
う、うん、なんか、気い、滅入って無いように、
相談者:
気、滅入って無いように聞こえるって言われましても、
加藤諦三:
ううん。
相談者:
気が滅入ってるんでございますが、
加藤諦三:
ああ、そうですか。
相談者:
精一杯、気持ちを、若く持って、頑張ってるんでございますよ。
加藤諦三:
ああ、立派です。
それ、なんで、わたし一人が、こんなに犠牲にならねばならないんだと。
不公平だってことでしょう?
相談者:
はい、そうです。
加藤諦三:
でも、この元気は、なかなか、無いですよ。
76歳で。
相談者:
ああ。
わたしもね、ときどき、死んでやろうかな・・死んだら、なーにもかも、悩み消えていくのにな、って思うときだって、ちょいちょいありますよ、この頃。
加藤諦三:
そら、誰でも思いますよ、そのくらい。
だから、今ね、大迫先生が言われたように、時々、息抜きしましょう。
相談者:
そいで、いいですかねえ?
加藤諦三:
それでいいです。
それでいいです。
相談者:
それしか、あの、望みは無いですねえ。
加藤諦三:
いや、それしか望みが無いっていうより、それで、もう、十分ですよ。
相談者:
だけどお、ね、お金も無ければ、生活も、えらいですからねえ。
加藤諦三:
ううん。
ま、でも、今こうして、元気に、電話を掛けられてんだから。
相談者:
はあ。
加藤諦三:
ね?
相談者:
はあ。
加藤諦三:
辛い方考えないで、いい方考えましょう。
相談者:
ありがとう。
加藤諦三:
はい、どうも失礼します。
相談者:
失礼します。
(内容ここまで)
透けて見える40年前の弟たちの黒いワナ
76歳の妻が73歳の夫を介護する。
今の時代、ありふれた老々介護なのかもしれない。
でも、
夫が、全盲の寝たきり。
妻は心臓病でペースメーカーに頼る。
いや、もう、なんて表現したらいいのか・・
凄まじい。
そんな形容詞くらいしか思いつかない。
これが、老々介護という言葉だけでは伝わらない現実だ。
つまり、高齢になれば、健康体であることが珍しく、どこか患いながら生活しているわけだ。
介護する側と介護される側の区別は、あくまで、相対的な位置づけでしかなく、少しでも動ける方が介護する側に廻ってるに過ぎない。
で、なに?
施設入居が500人待ち?
この夫婦ですら、優先順位を上げることができないの?
国があ、行政があ、なんて言うつもりはない。
だけど、相談者が今日、明日、絶望したって不思議じゃない。
この人、結婚前は養母の介護をして最期を看取ったんだね。
夫の病気がいつからか、はっきりは分らんけど、人生の多くの部分を、要介護者と共に過ごしてきたわけだ。
養母の方は育ててくれたバーターとして納得できたしても、夫に関しては、弟たちの冷たさに込み上げてくる怒り。
ここは、もう少し聞いてあげたかった。
弟たちの、黒い思惑が透けて見えるからだ。
まず、
相談者が話す結婚の下り。
弟たち全員が仲人を連れてゾロゾロと、という部分。
想像してみ?
すごい違和感のある風景だ。
5人揃って兄想いってか(笑)
なわけない。
なぜ、そこまで焦る必要がある?
だいたい、
「バリバリ働く名目で」、
普通はこんな当たり前のことを強調したりしない。
加えて、
夫が目を患ったときの弟の強い否定が笑える。
こういうのを「馬脚をあらわす」という。
当時は流してしまったこれらの出来事。
今、思い出せば、おかしなことばかり。
相談者には、ある確信めいたものがあるわけだ。
「弟たちは、夫がこうなることを知ってたんじゃないのか?」
わたしも、全く同じ。
大迫さんのアドバイスが、やに意味深でね。
「(弟たちから)『40年経ったときに、こうなるということは分りませんでした』、って言われちゃうとねえ・・」
しかしだ、
夫の、目を含めた体のあちこちに異常をきたすのは、結婚後、程なくしてからだ。
40年後の今のことではない。
大迫さんが言いたいのは、あくまで法的には無理だということ。
お見合い結婚では、お互いの健康診断書を交わすのは常識なのだが、相談者には、それを助言できる家族もいなかった。
弟たちは、それも知った上で、相談者に狙いをつけた。
音声が違う。。