娘たちへの不満と孫への現実離れした願い。多過ぎる74歳の女の要求
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
あ、もしもし?
相談者:
はい
加藤諦三:
えっと、お祖母ちゃんの気持ち、よく分かるんだけれども、何でこうなっちゃったんでしょうねえ?
相談者:
そうなんですよねえ(涙)
加藤諦三:
うん
相談者:
あたしも原因が分かんないってのに、言ってるのにねえ(涙)
加藤諦三:
ねえ、泣いてるお祖母ちゃんにキツイんだけれども、
相談者:
はい
加藤諦三:
何故かっていうとね、
相談者:
はい、あたしが・・(涙)
加藤諦三:
お祖母ちゃん結構、要求が多いんだよね。
相談者:
ああ、そうかもしれないです(涙)
加藤諦三:
あのねえ、
相談者:
はい
加藤諦三:
要求が多いと、地獄になっちゃうんですよ。
相談者:
ああ、そうなんですか。
要求っていろんなことですか?
加藤諦三:
いろんなこと。
だってもう、苦労してね?育てたね?今あの態度はなんだ?と。
相談者:
そうなんです。
加藤諦三:
あ、あたし1人でね?今ね?
相談者:
はい
加藤諦三:
74歳で寂しくしてんのにね?
相談者:
はい
加藤諦三:
それが子供の態度かと?
相談者:
はい
加藤諦三:
こうしてほしい、ああしてほしいって要求が、物凄く多いんです。
相談者:
ああ、そう、か。
それ、あります。
加藤諦三:
この、物凄い大きい要求が、地獄にしちゃってんですよねえ。
相談者:
ああ、なるほど。
加藤諦三:
別の視点から言うとね?
相談者:
はい
加藤諦三:
今、大迫先生もね?
相談者:
はい
加藤諦三:
おっしゃってましたように、
相談者:
はい
加藤諦三:
お子さん3人いる、お孫さん6人いる、
相談者:
はい
加藤諦三:
この幸せを見つめて生きるってこともできるんですよねえ。
相談者:
はい
加藤諦三:
これはねえ、乗り越えるべき時だね、今。
相談者:
どうやったら乗り越え、乗り越える・・(涙)
加藤諦三:
あのね、しっかりとね、変化を見つめる。
相談者:
変化?
加藤諦三:
変化。
要するにね、
相談者:
はい
加藤諦三:
人は変化しますから、
相談者:
はい
加藤諦三:
この6人のお孫さんのねえ、日々の変化をしっかり見つめてってみたら?
相談者:
はい
加藤諦三:
「この6人のうち、この1人はね?去年、こんなことできないのに、こんなことできるようになった。
あ、この子はこんな風なことを言うようになった」とかってね、
相談者:
はい
加藤諦三:
この6人のお孫さんのね、成長を、見つめる。
相談者:
はい
加藤諦三:
そうすと、6人のお孫さんに、関心を向けると、お祖母ちゃんの心の成熟ってのが出てくるんだよねえ。
相談者:
ああ、そうですか。
加藤諦三:
ほんとにだから、生きるの嫌んなっちゃって、で、救いを、他所に求めてるっていうね、
相談者:
はい
加藤諦三:
もう、お祖母ちゃん限界だと思います。
相談者:
は・・
加藤諦三:
限界だっていうのはね?
相談者:
はい
加藤諦三:
救いを外に求めた時っていうのは、人間、限界の時まできてる時なんですよ。
相談者:
ああ、そうなんですか。
加藤諦三:
ええ。
だから、一生懸命頑張りました。
相談者:
ええ
加藤諦三:
もう自分は、十分頑張ったと思って、
相談者:
ええ
加藤諦三:
これからは、
相談者:
はい
加藤諦三:
関心を変えましょうよ。
相談者:
はい
加藤諦三:
自分の要求を、ばっかりに、振り回されてないで、
相談者:
はい
加藤諦三:
みなさんが、こうしてくれない、ああしてくれないって要求が多いから、
相談者:
はい
加藤諦三:
それよりも、
相談者:
はい
加藤諦三:
だって孫の、近くで孫を見たいなんて言ってる人いっぱいいるんだから。
相談者:
ああ・・
加藤諦三:
孫のいない人で孫が欲しいって人いっぱいいるわけ。
相談者:
そんならあたし、そういう人達のことを思えば、幸せって考えなきゃいけないですよね?
加藤諦三:
うん。
そっちの方に気を向けていきましょう。
相談者:
考え方変えるんですね?
加藤諦三:
うん
相談者:
はい
加藤諦三:
よろしいですか?
相談者:
はい
加藤諦三:
はい、どうも失礼します。
相談者:
どうも、ありがとうございました。
加藤諦三:
人は成長、変化します。
その変化を受け入れるのは、成熟です。
(内容ここまで)
要求が多いと地獄になる by 加藤諦三
辛らつ(笑)
このぐらいインパクトがないと刺さらないもんね。
これ、「娘たちに優しくして欲しかったら要求を減らしなさい」、っていうことではもちろんない。
他人を操作しないっていうのは番組お約束だ。
要求しない自分になるということ。
今持てるものを大切にして、健やかに過ごせる自分に変わるということだ。
これは選択問題ではない。
体力、知力から、人付き合いに至るまで、あらゆるものが減衰、縮小していく年代には生きていくために必須なの。
近所に住む娘夫婦3組に孫6人。
3人娘のうち毎週誰かは家にやってくる。
確かにこれだけ聞くと今日の婆さん像は絶対に浮かんでこない。
つくづく幸不幸って形じゃないんだな。
3人娘の当番制。
「お姉ちゃんはあんまり面倒看てない」って、あとの2人が言う。
つまり、あれだ、押し付け合ってんだな。
母の世話は娘としての義務感によって支えられているわけだ。
そら婆さんも辛かろう。
でもさ、水心魚心じゃないの?
「週に1回しか来れないんです」
しか・・
しかあ!?
それ、「も」、か、「は」に言い換えた方がいいよ。
で、続くのは、「来てくれる」だ。
じゃないと、娘の立つ瀬がない。
逆に自分がしたことで恩着せがましくなるのは、無理してそうしているからなの。
6人もの孫に祝い品なんかキリがないっつうの。
ここは娘たちの方から申し出があってもいいんだけどさ。
極めつけは、食材を買ってきてもらって代金を請求されることへの不満。
ちゃんとレシートも見せてるじゃない。
なに?、細かいとでも言うの?
不機嫌な顔すんの?
そらあね、義務感にもなるよ。
大迫さん言うようにまだ人の世話になるような年齢じゃないんだけど、身体どっか悪いのかね。
宅配使えよ。
で、娘が来る日は、来たいから来る日に変えよう。
ま、ムリか。
疎遠になるだけだな(笑)
エラそうなことは言えんけど、こういう婆さんはホント反面教師にしたい。
理想は、ひとりで生きていける自分でありたいの。
別にそう決めるわけでも、気負うでもなく、自然体でね。
もちろん心理的にだ。
心理的に誰かに依存しないということ。
体力的には、いつかは人に頼るときが来たとしてもね。
ゴシップ好きは直らないと思うけど、恨みつらみは吐かず、笑顔を忘れず、その日一日をつつがなく。
身内だろうと他人だろうと、人との付き合い方は、今関わっている人にこそ関心を持ち、去る者は追わずだ。