幼子捨てた娘に代わって母。大原敬子を感動させた風呂上がりの描写に感じる愛
(回答者に交代)
大原敬子:
こんにちは。
相談者:
こんにちは。よろしくお願いいたします。
大原敬子:
いーいい、お孫さんですね。
相談者:
はい
大原敬子:
して、あなたも素晴らしいですねえ、おばあちゃんとして。
相談者:
ああ・・いえ、とんでもございません。(苦笑)
大原敬子:
と申しますが、あなたの言い方なんですね。素晴らしいですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
本来は、「どうしたの?」って言ってしまうんです。
相談者:
はい
大原敬子:
「どうしたの?」っていうのは、
相談者:
はい
大原敬子:
もう、「どうしたの?」って言った人の心の広さが、入り口が狭いんです。門が。
相談者:
はい
大原敬子:
でも、「どういうこと?」って、あなた、言ってましたね。
相談者:
はい
大原敬子:
「どういうこと?」ってことは、門戸を開いて、両手で、相手のことを、全身で受け止めるとき、「どういうこと?」っていうんです。
相談者:
はい
大原敬子:
聴こうって意味です。
相談者:
はい
大原敬子:
「どうしたの?」は、もう自分である程度、「あ、何かあったな」で「どうしたの?」になってしまうんですね。
相談者:
はい
大原敬子:
もっとすごいのは、その、あなたがですね、お風呂に入って、
相談者:
はい
大原敬子:
バスタオルを拭いて、
相談者:
はい
大原敬子:
茶の間に来てっていう。そのお孫さんの行動がですね、
相談者:
はい
大原敬子:
しっかりあなた、看てるんですよ。
相談者:
そうですね。
大原敬子:
これ愛ですよ?
相談者:
はい
大原敬子:
お父さんお母さんよりも、何十倍の愛を、あなたは、目で追ってるんです。
相談者:
はい
大原敬子:
だから、「どういうこと?」って聴いたんです。
相談者:
そうです、はい。
大原敬子:
そしたら、次ね、
相談者:
はい
大原敬子:
「何もかも嫌になっちゃった」って言ったのね?
相談者:
はい
大原敬子:
それですごく、心が救われるんです。
相談者:
あーああ・・
大原敬子:
人間は、「何もかも嫌になっちゃった」って言えるときってね、楽なんですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
しかもですね、「タオルで頭を拭きながら」って言ってますねえ。
相談者:
そうです。
大原敬子:
あなた自身、経験あり◆#$、頭を拭きながら、「あーああ、嫌になっちゃったわ」と思うときには、その、ホッとした部分と、
相談者:
うん
大原敬子:
何か、しなくちゃいけないとか、
相談者:
うん
大原敬子:
そういうときに出ませんか?
相談者:
そうですね。
大原敬子:
頭を拭きながらってことです。
相談者:
はい
大原敬子:
つまり、ふと、「言ってみたい」と。
ほっとして、おばあちゃんが、おコタツにいて、
相談者:
はい
大原敬子:
「ばあちゃーん」てくるときは、もう、リラックスしてるんですよね?
相談者:
・・
大原敬子:
もしこれが悩みがあったら、この、スケジュールにならないんですよ。
相談者:
はい
大原敬子:
まず頭を拭きながら、「ああ、おばあちゃん・・なんか、悲しいな」なんて言わないです、もう。つらかったら、
相談者:
うん
大原敬子:
自分の◆#$入ってます。
で、あなたが、「どうしたの?どうしたの?」っていったら「何でもないおばあちゃん、大丈夫だよ。」って突き放すんですけども。
相談者:
はい
大原敬子:
向こうから、頭を拭きながら。
頭っていうのは、リラックスなんですね?
相談者:
・・はい
大原敬子:
あなたが本当にね?「もう!」と思った人のところに、頭拭きながら、「悲しい」なんて言いますか?
相談者:
あ、言わないですね、はい。
大原敬子:
頭も洗いたくないでしょ?
相談者:
そうですね。
大原敬子:
もう、それが人間の無意識の、生理的なものなんです。
相談者:
はい
大原敬子:
でね、心理学とか、そういうところを観るんです。言葉ではなくって。
相談者:
あー、はい。
大原敬子:
そうすっと、理解できるかもしれませんけども、
相談者:
はい
大原敬子:
自分だったら、
相談者:
はい
大原敬子:
本当に、悲しくて、
相談者:
はい
大原敬子:
絶望の淵のときに、通常のコースを歩いて、
相談者:
はい
大原敬子:
ルーティンをして、
相談者:
はい
大原敬子:
そして、頭を洗いながら、「ねえ、おばあちゃん寂しい」なんて言えますか?(苦笑)
相談者:
あー、言わないですね。(苦笑)
大原敬子:
それを、分かってください。
相談者:
はい
大原敬子:
つまり、「あー、この子は、リラックスして、私に、ほんの少しの、感情の」ね?
相談者:
はい
大原敬子:
「気持ちを、それだけ言えばいい」「悲しいて言える相手が居たってことは、この子は幸せなんだ」ってことなんです。
相談者:
あー、はあ、はあ。
大原敬子:
だったら、これから今後ね、もう前に行かなくちゃ、今の状況から。
相談者:
そうですね、はい。
大原敬子:
そうすると、あなた自身が、この、言葉を、しっかりと抱えて、
相談者:
はい
大原敬子:
「10、何年間、育ててきて」、
相談者:
はい
大原敬子:
「よかった」と、
相談者:
はい
大原敬子:
「これは私の宝として」
相談者:
はい
大原敬子:
「私は、この子の、今回のこの言葉」
相談者:
うん
大原敬子:
「悲しいってことで、私は動揺した」って。
相談者:
はい
大原敬子:
「でも私が」、笑顔でってことは、答えなんです。笑ってるってのは。「大丈夫だよばあちゃん」て、
相談者:
はい
大原敬子:
それをあなたは「受けいれる」んですちゃんと。
相談者:
あー、はい。
大原敬子:
そして、「さあ、今日から、料理をちゃんとしよう」とかね?
相談者:
はい
大原敬子:
「孫の好きなもの何か、ないかな?」とか、
相談者:
はい
大原敬子:
「お風呂、どうかな?」とか、あなたがすること。
相談者:
はい
大原敬子:
それから、あなた自身が、「ちょっと、足腰が痛い」とか、
相談者:
はい
大原敬子:
「胃が痛い」って言ってしまったら、
相談者:
はい
大原敬子:
このお孫さん、心配するわけですよねえ。
相談者:
はい
大原敬子:
今、あなたが、お孫さんの、その言葉で、動揺をするんではなくって、
相談者:
はい
大原敬子:
「わかった」って。私が今、できることは何か?ってことです。
相談者:
そうですねえ。
大原敬子:
それが愛です。
相談者:
はい
大原敬子:
他人の、部屋まで入ってい行って、干渉することは、おせっかいなんですね?
相談者:
はい
大原敬子:
愛の売り込みなんです。
相談者:
はい
大原敬子:
あなたが大事なことは、できるだけ孫は、独り立ちできる、まで、
相談者:
そうですね。
大原敬子:
「おばあちゃん、悲しいよお」って言える、環境を、あなたが作ることなんです。
相談者:
はい
大原敬子:
今日あなたの話を聞いていて、「どういうこと?」って。
相談者:
はい
大原敬子:
優しいですよね。
相談者:
・・
大原敬子:
「おばあちゃんできることは、できるけど、どういうことなの?」ってことでしょ?
相談者:
そうですね、はい。
大原敬子:
「どうしたの?」は、「言ったら解決してあげます」ですから。
相談者:
うーん
大原敬子:
言えないです。事実は。
相談者:
はい
大原敬子:
それを考えたときに、あなたの子育て?
相談者:
はい
大原敬子:
孫育ては、
相談者:
はい
大原敬子:
上手に行ってますよ?それから、もっともっとこの、お孫さんが、「いやあ今日つまんなかったよ」とか、
相談者:
はい
大原敬子:
そういう言葉を、吐き出すだけで、
相談者:
あー、はい
大原敬子:
明日の、エネルギーになるんです。
相談者:
はい
大原敬子:
その状況を作ることかしらねえ?
相談者:
・・ああ
大原敬子:
だから、何も、心配もないですよ?これ。
相談者:
わかりました。(ため息)
大原敬子:
最終的に私はね、
相談者:
はい
大原敬子:
「何もかも嫌になっちゃった」と言える、
相談者:
はい
大原敬子:
あなたが元気であれば、
相談者:
はい
大原敬子:
この孫さんは、元気で生きていけます。
相談者:
・・ああ・・そうです・・
大原敬子:
誰もが人間ね、「もう何もかも嫌だあ!」って言って、優しく、受け止めてくれる人がいたなら、
相談者:
はい
大原敬子
いや、どんなに幸せか。
相談者:
・・そうですね。
大原敬子:
でしょ?
あなただって言いたいわよね?誰かに。
相談者:
言いたいですね。
大原敬子:
お孫さんは、居るんです。あなたという。
だから、あなたは、いつまでも、その、お孫さんの、気持ちを、受け止めれる、元気さを持ってください。
相談者:
あり◆#$%□
大原敬子:
それで、お孫さんに対する、愛です。
相談者:
あ、わかりました。
大原敬子:
幸せに頑張ってください。
相談者:
ありがとうございます。
大原敬子:
はい。、はい。
相談者:
はい
(再びパーソナリティ)
大原先生さすが幼児教育のスペシャリスト。
思春期が終わったような終わらないような微妙な年頃の青年の言動に、寄り添えるアドバイスすてきです。
放送聴いてて泣けました!相談者さんの、お孫さんをみつめる深い洞察力に大原先生の温かい感動のアドバイスが最高に胸に響きました!!
経済的には
心配なかったのでしょうねぇ〜
お孫さんにとっては
実母より養父母に育てられて良かったですネ
どうしたの?と、どういうこと?の返しの違いが私には全くわからないです。あと何故こんなにも愛情深いおばあちゃんと心優しい孫の間のお母さんだけが破天荒なのかもすごく気になりました。加藤先生は相談者さんを責める方向に持っていきそうだったけど、大原先生がベタ褒めだったので遠慮しちゃってる感じがしました。個人の感想です。
管理人さん答えを教えて下さい。ポンチ絵を見ても全然分かりませんでした。
実のお母さん、本当に残念だなあという思いを持ちながら聴きましたが、養母として頑張ってきたおばあちゃんに「あっぱれ!」をあげたいです。
お孫さんというか、孫息子さん、もう成人しましたから、無理のない範囲でおばあちゃんというか養母を大事に介護して行って欲しいと思います。
下手をすると、根掘り葉掘りで相手の心を
こじ開けるだけになる危険性が
『どうしたの?』の問い方には潜んでいると思います。
出来事に興味があるだけだったり、自分が解決してやるぞ!という動機が漂うんです。
自分も常々、どうしたの?と問われれば『何でもない』としか答えられません。
そして、「この人には何も話せないな…」と判断します。
『どういうこと?』という問い方は、相手の心の動きに深い関心がある時の表現です。
相手の価値観や感性を尊重した、思いやりに溢れた問い方と思います。
お孫さんは、安心したから『冗談だよ』と言い、そして楽になれた事でしょう。
聞きながら、ウルッとしました。
そして、何だかホッとしました。
涙、涙です。
美しい心が織りなす、ちょっとせつないお話に、涙腺が緩くなりました。
おばあちゃんと孫がお互いを思いやる時間は限られているかもしれないけれど、もっと美しい時間が流れると思います。
どうぞお体を大事に。
「どういうこと?」ってまるで上司が部下のミスを指摘するみたいな言い方だと思いましたが…
今回は大原先生の言ってることがちょっとわかりませんでした。
稀にテレ人には聖人回がある。本件がまさにこれ。娘が育児放棄した孫を育て上げた時点で聖人レベル。
「どういうこと」という問い掛けは「あなたの言い分は受け止めた」前提。孫は「『悲しい』の説明をしないといけない」というボールを受けて、説明するのが恥ずかしくなったんかと思う。
去年、リストカットをした娘に「なんで?」って尋ねて、大迫先生に呆れられた相談者がいたけど、「どういうこと?」も大差ない気がする
母親に捨てられた孫を、母親代わりになって成人まで育てた、それは本当にすばらしいこと
だけど、父親も母親も知らない孫の心の空虚感は誰にもわかるまい
孫がお行儀がいいのも「いい子は抑圧されてる」の法則どおりだろうし、加藤先生がまずそこを指摘されたのも道理
そして、相談者はそういう人の心の内側の葛藤やつらさには無頓着な部分があって、だからこそ表面的な言葉に右往左往しちゃうんだろう
それでは孫も、本当の意味で心を開いてはくれないだろうな
敢えて言えば、そういう表面的な体裁や世間の目を気にする相談者だからこそ、実の娘(孫の母)と断絶しちまったのではないか?
大原先生のべた褒めは正直表層的に過ぎる、ここはマド愛先生の「お孫さんも、もっと言えば娘さんも、寂しかったんだと思うよ?」が必要だったように感じた
どうかな
おばあちゃまは実娘の原罪を償うべく精一杯やってこられたと思います
これ以上は、孫ちゃんが自分の運命を受け入れて人生を進めていくしかないと思う
孫ちゃんに幸多かれ、おばあちゃま以外にも支えてくれる方がいることを願います