
騙して入れたグループホーム。様子とは裏腹な父の「ここは天国」が娘を苦しめる
(再びパーソナリティ)
加藤諦三:
あなたは、小さい頃、
相談者:
はい・・
加藤諦三:
何か、悪いことがあると、
相談者:
はい
加藤諦三:
周りから、責められてきたっていうようなことは、ないですか?
相談者:
・・ああーあのう・・強くは、感じないですが。
やはり長女なのでえ、
加藤諦三:
うん
相談者:
「お姉ちゃん・・があ」っていうのは・・(吸って)あったぁ・・気が、します。
加藤諦三:
あああ・・
小さい頃に、人間関係で、責められるということは、
相談者:
はい
加藤諦三:
も、の、すごい、大きな意味を持っちゃうんですよね?
その人の一生に。
相談者:
はい・・
加藤諦三:
もう一つは、あなたが、親子の関係っていうものを、ものすごく、伝統的な、感じを持ってんのかな?
つまり、「親孝行はいいことだ」と。
相談者:
はい
加藤諦三:
親孝行は、
相談者:
はい
加藤諦三:
「しない」・・というのは、望ましくないというふうな・・
相談者:
はい・・
加藤諦三:
昔は、もう、親孝行というのは、絶、対、の、価値観でしたからね?
相談者:
はい
加藤諦三:
そういう、伝統的な価値観を、持っているのかな?っていうことを、ちょっと思ったんですけれども。
相談者:
ああー・・すごく、強く、思っていると思います。
加藤諦三:
あああ・・そうするとね?
相談者:
はい
加藤諦三:
そ、う、い、う、親孝行っていうのの、伝統的な価値観を持って
、かつ、グループホームとか、
相談者:
はい
加藤諦三:
昔の、老人ホームという、関連みたいなものが、あるとね?
相談者:
はい
加藤諦三:
それは・・父親を、半年前に、グループホームに入所してもらって、
相談者:
はい
加藤諦三:
自分は・・十分親孝行をしてこなかったんじゃないかな?という・・自分を、責める気持ちっていうのは・・
相談者:
はい
加藤諦三:
どうしても、出てくるよねえ。
相談者:
ああ・・
加藤諦三:
今、せっかく・・半年前にグループホームに、うまく、入れてるわけですからあ。
相談者:
そうですね。
加藤諦三:
「今を、生きる」っていう・・考え方は、持てないかな?・・
相談者:
・・持つように、努力します。
加藤諦三:
今までのあなたの考え方が悪いっていうんじゃないけれども、
相談者:
はい
加藤諦三:
過去を整理して、
相談者:
はい
加藤諦三:
今を、生きるっていう・・
相談者:
はい
加藤諦三:
ことは、人間にとっては、非常に大切なことなんですよ。
相談者:
「今を生きる」・・はい
加藤諦三:
今・・見方によっては、全、部、いろいろなこと、うまくいっているわけですからあ。
相談者:
は、い・・
加藤諦三:
今を生きれば・・お父様も、喜ぶでしょうし。
相談者:
そうですね・・
加藤諦三:
母親も、あの世で、喜んでくれると思いますよ?
相談者:
はい
加藤諦三:
今を、生きましょう。
相談者:
はい、そのようにしてみます。
加藤諦三:
よろしいですか?
相談者:
はい
加藤諦三:
はい、どうも失礼しまあす。
相談者:
はい、ありがとうございましたあ。
加藤諦三:
過去を整理して今を生きる。
認知症の父親をグループホームに入所させず、パートの仕事をしながら週3回通って世話してたら、精神的、身体的ストレスで相談者が倒れていたかも知れません。
騙して半年前に入所させたとしても、父親は「ここは天国だ」と言っているのだから、週1回の面会で顔を見せることが大事だと思います。たとえ、父親が相談者を認識できなくても。
親族が入所して、面会し、昔話などしていると、ふと、正気に戻って、活き活きと話すこともありました。
3週間前に母をグループホームに預けたわたしにはドンピシャ当てはまる相談でした。参考までに私の場合は以下の通りです。
この3週間、私も色々逡巡し、3日連続で母の夢を見たりもしました。やはり、母が可哀想だという気持ちはありましたから。
母は認知症は軽度なのですが、鬱と不安症がひどく、ほぼ寝たきりで拒食状態。体重も33キロまで落ち、かかりつけの医師から施設に入居をすすめられ、グループホームに入ったわけですが、入所当初は恨み言を言われましたよ。覚悟はしていましたし、黙って聞いて謝りもしましたが、ちょっとグサッときたのが「わたしをこんなところに押し込めて、あんたたちは楽をしている。自分が楽になりたいからわたしを見捨てた。」という言葉。これも言われるだろうなあとは予想していましたが、実際言われるといい気持ではありませんね。しかし、わたしに毒づくことでストレス発散できるなら、それでいい、受け止めようと思いました。
そう思えたのは、ホームに入って以来、母が食事をするようになり体重が増えるという目に見えた効果があったからです。顔色も見るからによくなり、表情も穏やかになってきています。最近では、あきらめたのか馴染んだのか、あまり文句も言わなくなり、レクに笑顔で参加している写真を見せてもらいました。
父も母から解放され、こちらも穏やかになり、わたしは 朝夕来ていた父からの愚痴ラインから解放されました。
何より母が安全に守られているという安心感は何にも代えがたいです。おかげで、わたしも母の愚痴を優しく聴くことができるようになりました。
母を施設に入れる決断をしたのは、主治医に言われたからばかりではなく、自分でも色々考えての結論で、正しい判断だとは思っていたのですが、年老いた母に無理をさせているのかと少しすまない気持ちもありました。が、先日、介護師さんから「よくこの方を自宅で看ていらっしゃいましたね。大変だったでしょう。」と言われ「プロから見ても母の介護は大変なんだ。やはり自宅介護は無理だったんだ。ホームに入れて正解だったんだ」と救われた気持になりました。それ以来、もう迷う気持はなくなりました。あとは、できるだけ面会に行って見捨てたわけではないと安心させてあげようと思います。
長々と書きましたが、最後に、加藤先生の言葉でわたしが実践しようと心がけているのは「一度選択したら、その選択の良いところだけをみなさい」ということです。
相談者さんもそうすればいいのに。
(ちなみにこの選択の悪いところはスバリ、お金がかかることです。母の寿命が尽きるのが先か、貯金が尽きるのが先か?手に汗握ります。ケアマネさん曰く、お金がなくなっても打つ手はあるそうですが。)
以上、長文、駄文 失礼しました。
大原先生なら、泣かないで、自分に酔いしれるから!て言われてしまいますね。
相談者本人が、今後同居して精一杯、お父様を介護しては如何でしょうか。
そう遠くない内にお別れしてしまう前に、後悔しないよう、泣いてばかりいないで、行動あるのみです。
そんなに言うなら、余裕もできたし お父さんを引き取ればいいじゃないですか? 自宅で自由に暮らさせて上げれば? 週末だけでも自宅で過ごさせてあげるという手もありますよ。それは嫌なんでしょう?自分の手は汚さずに綺麗事言ってるだけに聞こえます。
お父さんだって今さら環境を変えるのは嫌でしょう。外出を億劫がるのも年取れば当たり前。
本当の悩みは何?お父さんのことではなさそう。