75歳。人間らしい生き方をしてあの世へ行きたい‥猫のように

(再びパーソナリティ)

玉置妙憂:
いかがでしたですかあ?

相談者:
はい、楽しく、あの・・

玉置妙憂:
ほん・・ねえ?

相談者:
理解させていただいて。

玉置妙憂:
ほんとですね♪

相談者:
もう、十分・・

玉置妙憂:
あの・・

相談者:
うん

玉置妙憂:
いいお話でしたよね?

相談者:
はい

玉置妙憂:
うん、早速あのちょっと声に出して言ってみませんか?
「わあ、いいお話でしたねえ!」

相談者:
ハハ「わあ、いいお話でしたね」

玉置妙憂:
(笑)ほんとですね。

相談者:
(笑)

玉置妙憂:
じゃあ、そういうの、またノートに書き溜めてね、

相談者:
はい

玉置妙憂:
行ってください。

相談者:
はい。繋がってほんとに良かったです。

玉置妙憂:
良かったです。

相談者:
はい

玉置妙憂:
はあい

相談者:
ありがとうございます。

玉置妙憂:
はい、失礼いたしまあす。

相談者:
はい、失礼します。

玉置妙憂:
はい

 


「75歳。人間らしい生き方をしてあの世へ行きたい‥猫のように」への14件のフィードバック

  1. タイトルの「猫のように」に笑えました。
    「人間らしく」と言っておきながら、ね。

    管理者さんさすがです!

  2. なんと贅沢な相談だよ!世の中にはもっと生活そのものの苦労があるんだよ(💢)と感じたあなた。
    これが本当の相談であるべき姿なんですよ。
    金金金の相談が増えてるのは日本が貧しくなったから。
    相談者さん良き人生を!

    1. 元々の生まれもった性格だったり過去の経験は人それぞれだから比較はしてはいけないと思います。
      なんでもそうです。

      1. そんなことを言ってしまったら相談もできないし回答もできないでしょう
        人間そんな理屈で割り切れる生き物じゃないです

  3. 家でも外でも話し相手がいなくて、きっと寂しいのだろう。友達が出来ても話しが合わない事が多く、みんな逃げるんだろうな。可哀想。死ぬのを待っているのだろう。

  4. 相談者さんはテレ人に電話する度胸があって、三石先生とお話できていいなあ。
    三石先生ファンの私なら嬉しくてその場で即日昇天さようなら、我が人生に悔い無しですよ。
    こんな人間もいるんです。恵まれた自分に自信持ってください。

  5. 妙憂先生が「積極的に不安を探してる」と指摘されたけど、まさにこれかなと。
    少なくとも表面上は恵まれた生活を送ってる人なのだろう。哲学が好きとのことだったから、猫のように生きたいだの何だのと物事一捻りして考える癖を拗らせてしまったのかな。
    足るを知る。現状を受け入れることもある意味大事。

    ただ、いい歳して無職の息子を「振り回したくない」と言ってたのにはちょっと違和感があった。

  6. 元大学教授だった人がホームレス生活を、月に何日かするのだと。これがやめられない幸せな時間だと言ってた。
    幸せってそれぞれの感じ方。自分次第で、なんだってどんなことだって自由自在。

    私にとって最高の勝利は、ありのままに生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになった事、
    どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと、ありのままの一日、ありのままの人々、過去は現在に感謝すべきだと言うことを私に教えてくれたような気がします。未來を心配ぱかりしていたら現在を楽しむゆとりが奪われてしまうわ。自分自身にたいして100%素直でなければなりません。欠点を隠そうとせず正面から向かい合うのです。オードリーヘップバーンより

    図書館お薦めします。都内は素敵な図書館あります。とこでも区で運営してます、本は、ちっぽけな自分に色んな世界を教えてくれます。

    1. きっと息子が一番の心配事なのかと思います。自分の亡きあとはどうするのかなど。心配しても解決法が見つからない。
      だったら、切り換えて自分の残りの人生を有意義に過ごしたいと考えを変えたのではないかと感じました。

  7. 電話がつながっただけでも幸せ、に笑わせてもらいました。

    この方は大丈夫。ユーモアあるし、心の持ちようで明るく過ごしていける。

  8. 猫さんも死んでしまってさみしかったのではないかしら。
    配偶者とのお別れのご事情も、息子さんの状態も詳しくわからないけれど、
    ふと立ち止まって考えてしまうときってありますよね。

  9. 加藤先生曰く「人は解決不可能な問題から目を逸らすために解決可能な問題を自ら作り出すことがある」
    この人にとって本当の問題は拗れてしまった息子との関係性なのではないだろうか?
    ポツリと一言、もう振り回さずに、と漏らしたけれど、それはかつて振り回し続けたことへの反省なのだろう。
    心を閉ざしてしまった息子との関係を諦めたとき、気持ちの拠り所が無くなって急に哲学的なことに執着し始めたのではないかという気がする。

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