姪とのコミュニケーションに悩むワケ。外化、エクスターナリゼイション

(再びパーソナリティ)

加藤諦三:
大原先生が仰ったことね、

相談者:
はい

加藤諦三:
あなたよく、自分の問題だ、と思います、って言いましたねえ。

相談者:
はい

加藤諦三:
んん、これが言えれば、解決がつくんですけどねえ・・

相談者:
あー

加藤諦三:
おそらく、最初の相談のねえ、

相談者:
はい

加藤諦三:
姪が、コミュニケーションできない。

相談者:
はい

加藤諦三:
優柔不断だ。

相談者:
はい

加藤諦三:
というのは、

相談者:
はい

加藤諦三:
実はあなたあ、自分が優柔不断なことに、苦しんでんじゃないですかね?
で、自分に対する怒りがある。
で、イライラするんだけど、同時に、

相談者:
はい

加藤諦三:
人の言うことに対して、そうですね、そうですね、そうですね、っていう具合に、

相談者:
はい

加藤諦三:
こう、迎合していっちゃうって・・

相談者:
迎合・・せざるを得ないって、自分で思ってたから・・かもしれない・・

加藤諦三:
うーん・・
今、要するに虚無感なんでしょう?

相談者:
ああ、ありますね、虚無感は。

加藤諦三:
で、なんで虚無感を持ってしまったかというと、

相談者:
はい

加藤諦三:
全部自分の心の中で起きてることを、

相談者:
はい

加藤諦三:
認めないで、

相談者:
はい

加藤諦三:
ほんとは今言ったように自分が優柔不断であることに腹が立ってんです。

相談者:
あー

加藤諦三:
実は自分が上手くコミュニケーションできないで、そのことで、自分・・が、に対する怒りがある。

相談者:
あー

加藤諦三:
そのときに、あの子はコミュニケーション出来ない、という形で、全部自分の心の中にあることを、

相談者:
はい

加藤諦三:
外側のことに置き換えていくと、

相談者:
ええ

加藤諦三:
結果として何が起きるかというと、虚無感なんです。

相談者:
あー、そうですか・・分ります、ほんとに、それ、よく分ります。

加藤諦三:
これえ、は、もう、答えは明らかなんです。

相談者:
あー

加藤諦三:
今まではね、

相談者:
はい

加藤諦三:
他人があまりにも重要であり過ぎたんです、あなた。

相談者:
あー、そうだと思います、その通りです。
自分・・を出すことも出来なかったし。

加藤諦三:
ええ。
だから、自分と向き合ってください。

相談者:
はい。
そおですね。

加藤諦三:
ええ

相談者:
そおです、他人じゃないですね、自分・・のことを蔑(ないがし)ろで生きてきたみたいな気がします。

加藤諦三:
そうですね。

相談者:
はい

加藤諦三:
よろしいでしょうか?

相談者:
はい、ありがとうございました。

加藤諦三:
はい、どうも失礼します。

相談者:
失礼いたします。

加藤諦三:
心の中で起きていることを外で起きていることと考える。
外化(がいか)と言います。エクスターナリゼイション。

(内容ここまで)

だからねえ、

このお二方に、自分以外のことを相談するときは、誰の目から見ても、
それは辛いだろうな、困るだろうな、
っていうとき限定なんだってば。

そうじゃないと、

「なんで、あなたが、それに悩むのか?」

ここにフォーカスされちゃうから。

加藤先生なんか、方針として宣言してるし。(*)

(*) ニッポン放送 「垣花正 あなたとハッピー」の中で

 

大原敬子:
「相談がですね、違っているんですね。
姪御さんとのコミュニケーションはどうでもいいんですよ。」

(笑)

こういう風に相談が変えられちゃうわけさ。

ほとんど場合、それが当たってるからいいんだろうけど、
今日の相談者って、元々迎合し易いタイプだったからね。

「あたし、そう言われるんじゃないかと思ってました」

(笑)
ヘビーリスナーでもあると。

 

いや、アタシ的には30歳の姪に興味があったんで、突っ込んで欲しかったってのがある。

この子、4人兄弟の末っ子で、生まれたとき、
長姉13歳、次姉12歳、兄8歳。

長女とは一回り以上も違う。
母39歳のときに生んだ子ども。

共働きで、3人の子育てにアップアップのくせに、わざわざ作る意味が見当たらないんだよ。

だからね、事故だと思うよ、これ。
たまたま、その日、親父が酔って帰ってきたとか。(*)

(*) 母に捧げるバラード:
”あの日・・あの日、父ちゃんが酒さえ飲んで帰って来んかったら、お前みたいなバカ息子は生まれとらんとにねえ、ほんなごと、腹ん立つ”
<1973年 海援隊 作詞 武田鉄矢>

望まない出産とまでは言わないけど、忙しさもあって、子育てはそれなりのものなった。

相談者の家で従兄たちに囲まれて過ごす放課後は、この子にとって決して待ち遠しいものではなかったはずだ。

毎日となれば、歓迎もされまい。
相談者の虫の居所が悪いときもあったろう。

この自覚が、今も、相談者や、母(相談者の姉)にもあって、外化という心理的作用によって、現在の悩みとなっているわけだ。

 

30歳の姪は、
「小さい頃から、大人しい子でした。」

これも教科書とおり。
追放の恐怖から自分を守るために、感情を抑制し、大人に従順なわけだ。

高校のときに姉の息子の面倒を看たのも、相談者は、「特に嫌がらずに」、って言ってるけど、そもそもこの子は、拒否するという選択肢を持っていない。

で、どういう大人になったかというと、
大学の選択や、車の購入時のエピソードが、とても分り易いんだけど、
つまり、決めることが出来ないんだな。

イコール、一人で生きていけない。

意思決定の訓練がなされずに育つと、こうなってしまうという一つのサンプルだ。

かくして、今も両親と同居し、母は娘の扱いに苦慮するようになった。
あの手の掛からなかった良い子が、だ。

 

相談内容を勝手に変えられちゃったけど、外化を理解することで、相談者の不安は少しは解消されよう。

叔母だしね。


で?
この、姪とその母との関係はどうすんの?

外化

がいか。
エクスターナリゼイション:externalization。

感情の外部化、投影。
自分の中にある感情が、他者の感情にすり替えられること。

これ自体にネガティブな意味はなく、誰にでも無意識に起こる心理作用。

「共感」なんかにも通じる話で、
困っている人を手助けしたり、
貰い泣きしたり、
というのもこの作用のなせるワザ。

喜び、悲しみ、怒り・・
あらゆる感情が外化の対象となり得る。

この心理的作用が無いと、いわゆる「察する」ということが出来ないわけで、それはそれで、人づきあいを難しくするんだけど、何でも過ぎたるは及ばざるがごとし。

あり過ぎると、人間関係に破滅的に作用する。


なにか悪いことをして自分がそれを気にしていると、他人がそれを咎(とが)めていると感じることがある。
実は咎めているのは自分自身であって他人ではない。
相手を憶測すぎる人はたいてい外化といわれる心理的過程を経験している。
<中略>
現在の困難の原因は自分の心のあり様なのに、他人が原因であると思う。
相手をけしからんと感じて、相手に怒る。

(加藤諦三 まじめさが報われる心理学)


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