そして誰もいなくなった。敵意で覆われた同情への渇望。女の激情は遺産に向く

テレフォン人生相談 2019年6月28日 金曜日

4人兄弟の長女。
母の死を1年経ってから知った。
妹が管理していた母の口座を調べたところ、残高はほとんどなし。
遺産をもらうことはできるか?

一本のたくあんを7人家族で食べるような家庭で一人バカにされるも、中学を出て働いて家計を助けた相談者。
幼い頃から苦労してきたのは分かるのだが、今の現実は何を物語る。

パーソナリティ: 加藤諦三
回答者: 塩谷崇之(弁護士)

相談者: 女69歳 別居中の夫75歳 一人暮らし 子どもは3人 1年前に母は他界 4人兄弟の長女

今日の一言: 意識領域の拡大。これが不安への積極的な解決です。

加藤諦三:
もしもし?、テレフォン人生相談です。
最初に年齢から教えて下さい。

相談者:
69歳です。はい

加藤諦三:
結婚しています?

相談者:
一応、別居状態で。

加藤諦三:
ご主人は何歳ですか?

相談者:
75です。

加藤諦三:
で、お子さんは?

相談者:
3人おります。

加藤諦三:
今、あなたはお一人ですか?

相談者:
一人で住んでおります。

加藤諦三:
一人で住んでる・・

相談者:
はい

加藤諦三:
はい、分かりました。それでどんな相談ですか?

相談者:
わたしの母が、昨年亡くなっておりまして。

加藤諦三:
はい

相談者:
母は・・施設に入ってたから・・

加藤諦三:
はい

相談者:
電話をしたんですけど、あのお・・施設を、その、出ましたていう形・・
「病院変わりました」っていうことで、

加藤諦三:
はい

相談者:
「ここは居ません」っていうことと、

加藤諦三:
はい

相談者:
わたしの妹にもちょっと電話を入れるけども、着信拒否みたいな形になってまして、

加藤諦三:
あはい

相談者:
職場の方にも行(言?)ったら、「本人同士で会って下さい」っていうこと&#、もありましたので、

加藤諦三:
はい

相談者:
わたしい、が、幼い時から、もう(涙声)・・も、「バカ」っていう形で育っておりますので、
母あ、からも「お前はバカだから」ていう形で育ってましたので、(涙声)

加藤諦三:
はい

相談者:
&#父からも、家庭の中のことしないともう、突き落とされるっていうのが・・序の口だったもんですから、

加藤諦三:
はい

相談者:
あの・・

加藤諦三:
階段ん、なんかから突き落とされるという、そういうことですか?

相談者:
そうです、はい、そうです。

加藤諦三:
うん

相談者:
だから妹が全部その、通帳のかんじ(?)やらも捨てたし・・

加藤諦三:
じゃ、妹お、の方には、お母さんはそういう辛く当たっていなかったんですか?

相談者:
なかったですね。
幼い時は、ほら、両親が共働きじゃないと食べていけないような状態で、
ホントに、たくあん一本を、家族7人で食べるとか、そういう生活だったから、大変さは十分わかってたので・・

加藤諦三:
7人って言いましたけれども、

相談者:
はい。きょうだい4人と両親と、姪御と。

加藤諦三:
子どもの中でえ、

相談者:
はい

加藤諦三:
あなた一人が、いじめられたというか、嫌な思いをしたというか、罵倒されたというか、暴力を受けたというか、そういうことですか?

相談者:
そうです。それは長女だからていう形ですね。

加藤諦三:
ん、あ、長女だから。

相談者:
はい
それに対して母を・・憎んだっていうのは中学校時代い、だけですけど・・
中学校に入ればみんな部活に、入らないといけない?

加藤諦三:
はい

相談者:
部活をして帰ったら、

加藤諦三:
うん

相談者:
も、全部家が鍵がはいっ・・てて、(涙声)入れなかったっていうことで、

加藤諦三:
うん

相談者:
その時に初めて、あの・・憎みましたね。
中学校で金の卵っていう形で一応、紡績の方に、店員みたいな形で働きましたけど、

加藤諦三:
うん

相談者:
「給料日だから取り来て下さい」つって、わたしの番来たら、
「あー、あなたはお母さんが取り来たからね、もう無いわよ」って言われる形が・・ずっと二十歳までありました。

加藤諦三:
それでも、あなたは、虐待されたというような、

相談者:
はい

加藤諦三:
感じは持っていないわけですね?

相談者:
(涙声)なかったですね。

加藤諦三:
はいそれで?・・今日の相談というのはどういうことですか?

相談者:
はい。母の、あの、存在とも、なんかが、知りたかったんですけどお、
結婚して20年、疎遠だった時に、

加藤諦三:
ええ

相談者:
あの、もう、母の存在っていうこと自体を、忘れてましたけどお、

加藤諦三:
ああ

相談者:
町で会っても知らないフリっていうものが、今度は、母が老後になって、わたしを名前を、あの、会った時に呼んだり振り向いたりとか、するようになった時に、最初はあの、
「もうわたしが困った時になんも助けてくれなくてえ!」って恨んだこともありますけど、
やっぱり年々会うにつれて母が、杖がつくのが、乳母車になったりって、するのを見てて、こっちから声掛けるようになって・・
で、それから母の、あの、面倒を看るようになって、自然と、「お母さん」って言えるようになって・・あの・・

加藤諦三:
今日のあなたの相談というのは・・

相談者:
はい

加藤諦三:
どう、どういう、ことですか?

相談者:
はい・・はい、母が、な、あのお・・亡くなったのを、教えていただいたから、い、役場に行って、調べたら、亡くなってるっていうことを・・

加藤諦三:
うん

相談者:
知りまして。
通帳関係とか、どうなってるんだろうか?っていうことで・・その銀行に、二つの通帳があって、郵便局に1通あったんですけど、
銀行の方では、あの、一つの通帳は、も、全部、母の施設とか経費が落とされる通帳と、あとは定期で金額入った状態っていうのが、1冊。
郵便局では、年金だけのものの、ありました。
それが全部、千円内の金額になってるので・・管理してる妹が使ってる。
遺産分割では、それはもらえないんだろうか?っていう形です。

加藤諦三:
はい、分かりました。今日はあのスタジオに、弁護士の塩谷崇之先生がいらしてんので、伺ってみたいと思います。はい

相談者:
ありがとうございます。

(回答者に交代)


「そして誰もいなくなった。敵意で覆われた同情への渇望。女の激情は遺産に向く」への4件のフィードバック

  1. 声に敵意があふれてる。
    テレ人聞き出して、声には人間性が出るということをしみじみ思う。
    自戒!

  2. 今は疎遠になった実母と話し方も声も似ている。年齢と家族構成が異なるので流石に母本人ではないが、苦労話をカードにしたがる所や家族の中で搾取子扱いだったところも同じ。異なるのは、実母は実家とも、更には義実家とも交流を持ち続けていた点。どちらもお中元お歳暮は欠かさなかったが、それでも遺産協議には実家からも義実家からも放棄を迫られた。それ以降は流石に贈り物を止めている。
    その間の愚痴を聴かされるのは誰か。
    彼女が実家での毒が回り始め、彼女の母の劣化コピーとなったと確信した時に疎遠を決めた。

    それにしても関連記事からも分かるように、家族関係の失敗と遺産争族はリンクしやすい事項である。

  3. 「一本の沢庵を七人で食べた」なんて当たり前なのでは…
    塩辛くて長い沢庵を、まさか一人でボリボリ貪るつもりだったのか?
    他の話も所々怪しい点があるし。全部が全部本当ではないのでは。

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